第三段 高麗人の観相、源姓賜わる
高麗人が宮中に参っているさなか、高麗には立派な人相見がいるとの噂がありました。
人相見が宮中に召さなかったのは、亡き宇多の帝のお戒めがあったためです。
帝は、はなはだ人目を忍んで、この若宮を、人相見のいる高麗の鴻臚館へ遣わせました。
後見人であるかのように仕える右大弁が、若宮を我が子のように思わせてお連れ申し上げました。
人相見は驚いて、何度も頭をかしげて不思議に思いました。
「国の親となって、帝の上なき位に昇るべき相でおわします。
しかしながら、それでは国が乱れて人の憂いがあることでしょう。
また、朝廷の重鎮となって、天下をあやつる方と見れば、そのような相ではございません」と言いました。
右大弁も才能のある博士ですから、高麗人と言い交わしたことなどには、とても興味を持たれ、文などをつくり交わしました。
右大弁は、今日明日にでも高麗を去ろうとするころ、とてもありがたい人に対面を果たした喜びや、国へ帰らなければならない別れの悲しみなど、趣向を凝らして文をつくりました。
若宮も、とても情緒のある句をお贈りになったので、高麗人はたいそう愛でたてまつり、舶来の贈り物をいくつも差し上げました。
朝廷からも、人相見へ、たくさんの物が贈られました。
(画像出典:Wikipedia)
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