「綿毛に包まれて生きていく」~Vol.5 短い命の人って何故あんなに輝いてるの?

「短命」で誕生する命は、産まれる前にその役柄を選んで産まれて来た勇敢な魂であることは間違いではないのです。 この世の中は舞台の様なもの。私たちは人間としてある役柄を演じて、自分の出番が終了したら元の魂としての活動に戻るのです。

 

こんなことを書いてもご遺族には苦しいと思います

今日は、当事者以外の人の質問に答えた形として書きました。
ご遺族にはあまり嬉しくも癒しにもならない文章だと思います。ただ、分かって欲しいのは、皆さんも体感している通り、経験の無い人にはこの凄まじい体験は分かってもらえないということを踏まえても、少しでも伝えていく事には理由があることです。
大切な人を、子供たちを亡くした人は、感性も価値観も大きく変容します。
しかし、周りの人は何とかしようと思いはすれど、理解が出来ない為に、ご遺族の方の心に更なる傷を深めている事が多いのは事実ですね。そして、それを伝えるとその方たちは自分が思ってあげていたのに、心配してあげていたのに、という反応をされ、更なる人間不信に陥る。

私はわかります。
その状態で相手の意図など汲み取る余裕もありませんから、自分が傷つく言葉でも、その裏にある優しさに敬意を払う余裕は無かったんですよね。
そして、ご遺族の多くの方が仰るには、喪失で苦しんで以来全ての交友関係を絶ったということ。
そして、ご遺族の周りの人は苦しんでいる方に何か出来ないか、また元気に生きて欲しいという願いが必死の言葉となって出ているんですよね。

でも、それが思わぬ反応になってしまい、つい自分のして来たことが悲しくなって、“あげたのに”という感情が表されてしまう。そして疎遠になっていくのです。
私は、この事が大変悲しい事だと思います。
この経験者、非経験者の壁は大きいとは思います。
でも、命の問題は全ての人に無関係ではありません。
皆さん、崇高な魂であり、人間という有限の命の持ち主です。
人間という形である限り、生命を失った苦しみは何人たりとも感じずにはいられません。

そして、それは暗い事でも、闇でも、罪でもありません。死者を苦しめるものではありません。
悲しければ思い切り悲しみましょう。
苦しいなら思い切りもがきましょう。そして、周りの方は当事者がそうすることを温かく見守ってください。それを制約したり止めたりしないで下さい。もしもそうしたなら、溜まりすぎる苦しみと悲しみ押し潰されて再起不能となるでしょう。
そして、一番知って欲しいのは、その事象で壮絶な反応をしているほど、それは深い愛だということ。とても大きく深い愛なんです。自分さえもそこには不在になるほど。
そして泣き叫び、閉じ籠り、発狂する姿は、自己ヒーリングでもあるのです。
現象など外側から見ると、とても悲惨で何とかしなければならないと思うでしょう。その姿を見れば、亡くなった方を引き留め苦しめるだけだと思うでしょう。

しかし、それは大きな間違いです。亡くなった方は理解できます。魂に帰っているのですから私たちより理解しています。
その状況は亡くなった方にとっても悲しみではあります。しかし同時に愛の深さを感じます。そして必死にこらえている姿を応援しています。この別れの意味を理解するには、時間も必要な事も知っているのです。

98095046

では、周りに居る人が出来る事は何でしょうか?
それは、一番求めているのは、傍に居る時間を持ってほしい事。
話を聞いて欲しい事。
心に寄り添って欲しい事です。
意見は要りません。指示も要りません。ただ寄り添う事こそ一番求めている事を知っていて欲しいと思います。

 

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