「私たちは幾度も生まれ変わっています」
いつも誰かの悪口を言っている先輩に対して、「嫌だなあ、返答に困るな」と思ったり。
テレビのニュースに怒鳴っている家族の姿に、「はあっ」とため息をついたり。
混んでいる電車の中で騒ぐ学生たちにイライラしたり。
私たちはいつも、周りに対して何かしらの反応をしています。
さて、それらを振り返ってみると、いつも同じような反応をしていませんか?
私たちは、何度も生まれ変わっています。
なぜまた生まれてきたのでしょう?
それは、学ぶため、よりこの世界を楽しむため、進化のため、魂をみがくため、統合のため、ワンネスに至るためです。
いろいろなの言葉を使いましたが、すべておなじことです。
「人生は、自分を知るためにあります」
私たちの内側は、純粋意識で満ちています。
真我、神我とも、空とも呼ばれたり、さまざまな呼び名があります。
それが私たちの本質です。
もしもそれをパーセンテージで説明するとしたら、純粋意識は私たちの存在の96%を占めています。
残りの4%が肉体と魂で、個人的な私という感覚を持った部分です。
もしも、私たちが96%の純粋意識で生きることができたとしたら、目に映るものすべてに美と調和をみます。
あるがままにすべてを観察することができます。
そうした生き方を目指すのが瞑想です。
瞑想中は、アイデンティティを持つ自分が、純粋意識に溶け込んでいます。
私という個人的な意識はなくなり、ただすべてを感じます。
ただ、意識になっています。
そうして瞑想から戻るたびに、さまざまな気づきを得ていきます。
個人的な一方向の目を通した見方から、深い部分ではすべてが繋がっていて、分離不能な現れ全体を感じながらの見方に変わっていきます。
私たちは、魂と肉体という、この世界での個人的な特徴を現しながら生きています。
魂という幾度もの過去生の記憶をもつエネルギー体が、それ自身が持つ過去の記憶を表現する場がこの現実世界です。
肉体という物質的な現れを持つことで、それが可能になります。
肉体がなければ、体験することも、エネルギーを動かすこともできないのです。
私たちが毎日、あれやこれやと体験し、感じていることは、魂に刻まれていたものです。現実面に現れることで、自分とはどんなことにどんな風に感じる、反応する存在なのかがわかります。
人生は、自分を知るためにあります。
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