服を着せる為の「道」があった

十二単、女性は憧れる人が多いのではありませんか。衣紋道には忘れかけている日本の礼儀作法や心作法がキラキラ輝いていますよ。
服を着せる為の「道」があった

 

【世界でも通用する日本人の「道」】

日本人は、どんな行為にでも「道」を見いだす民族です。その中には世界的にも有名になったものが多くあります。オリンピックの種目になっている「柔道」はもちろん、海外のセレブもたしなむ「華道や茶道」、何十か国でも行われている「剣道」などは「日本が誇るべき文化」といえるでしょう。

 

【日本人にも知名度が低い衣紋道】

そんな日本が誇るべき文化のひとつでありながら、日本人にもあまり知られていないという道もあります。それが「衣紋道(えもんどう)」。おそらく、「はじめて聞いたことがある」という方も多いのではないでしょうか? こちらは簡単に言ってしまうと「服を着るための方法」となります。

「服を着るために大げさな道がいるの?」と思うかもしれません。実際に、現代のような洋服を着るためには衣紋道は必要ないものですが、日本の文化という観点から考えると非常に重要なものなのです。

 

【最高権力者が制定した衣紋道】

衣紋道は、服を着るためのものといっても、「装束」が対象となります。装束というのは衣服自体を表す言葉ではありますが、現在では平安時代などに「貴族が着ていた服」を表すことのほうが多くなっています。このように表現されてもピンとこないかもしれませんが、とっても簡単にいってしまうと「神主さんが着ているような服」が装束です。

貴族が着ていたといっても、元々は普段着であったわけですので、気軽に着替えることは可能でした。しかしながら、平安末期の「鳥羽天皇」が装束に深い興味を示し、「源有仁」と協力して、さまざまな古典や儀礼などを研究して、正式な装束である「剛装束(こわしょうぞく)」というものを制定しました。

こちらは、とても見栄えが良く、威厳あるように見せるものでしたが、そのかわり「美しく着るために技術が必要」であり、なおかつ自分だけで着るのが難しいものだったために、それを美しくしっかりと着付けるために「衣紋道」が産まれたのです。

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【衣紋道があったからこそ産まれた十二単衣】

人に着せて貰うことが前提となったために、装束の幅は広がり、平安時代の姫君の服装として有名な「十二単衣(じゅうにひとえ)」なども発展しました。そのために、着付けを行う人々も増えてきて、紆余曲折あった結果、鎌倉時代に現代まで伝わる「高倉流」と「山科流」の二流が誕生しました。

その結果、鎌倉時代に「衣紋道は最も隆盛を誇り」、それぞれが技術を発展させ江戸時代には宮中などを「山科流」、武家などを「高倉流」が担当するという形になりましたが、武家が少なくなっていき、現在では「高倉流と山科流が並立して宮中では採用されている」ようです。

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【1000年以上続いた日本の文化が、今後どう発展するのか?】

今では装束自体を見る機会が減ってしまっていますが、世界で日本文化として認められている着物、そのさらなる「源流といえる装束」を美しく着せることを「1000年以上」続けてきた衣紋道。

古いものを守るだけでなく、衣紋道をベースに「新しい衣装を発案」したり、スピリチュアリティを探求する人も存在しています。そこから産まれる新しい文化やスピリチュアリティが未来に伝わることで、どのようなものが産まれるのか? 今後が楽しみになります。

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