一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.78 「奇跡のひと マリーとマルグリット」

私も子供を持たなかった。若い頃には子供を産むことを楽しみにしていたのだが、産む機会がなかった。もう産めなくなった今、「産んでおけば良かった」と何度も思うようになった。

魂と魂の強い交歓と結びつき
スピリチュアルな内容に教えられること

少し前に村岡花子が訳したヘレン・ケラーの伝記を読んだ。

ヘレン・ケラーについてはアーサー・ペン監督の「奇跡の人」(62年)が有名だ。素晴らしい映画だが、少女時代のヘレンしか描いていない。その点大人になったヘレンとサリバン先生の関係までをも書いた伝記は新鮮だった。そして、ヘレンとサリバン先生の強固な絆は前世の強い結びつきを感じさせた。絶対的に互いを必要とするふたり。また、ヘレン・ケラーの霊格の高さも改めて実感した。多くの障がいを持って生まれてきた人は、それだけ困難な人生を送ることを決めてきた魂なので、霊格も高い。
ヘレンには今生で成し遂げるべき大きな使命があったのだと思わせられた。

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さて、そんなヘレンより前にフランスに三重苦の少女と先生がいたということ。
知らなかった。
映画は「奇跡の人」的な展開ではあるが、もっと精神的、そして詩的、そしてキリスト教的であった。しかし、私はこの美しい映画に心洗われた。なんて美しい魂の交歓、震え、喜び、導きがあるのか……!
私はラストのマリーの言葉に嗚咽した。こんなふうに魂と魂は出会い、高みに昇ることができるのだ! こんな出会いができた人生は、なんと素晴らしいものか! 私は、私は、私の人生には、こんな出会いが……あればいい。これからでも!

私自身に今まで溜まった俗世の汚れが、この映画を観ることで浄化されるような、稀有な一作であった。

三重苦の少女マリーを演じる聾者の少女
異質なオーラを放つ「無辜で力強い」演技

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19世紀末のフランスの片田舎。聴覚障がいのある少女たちを教育する聖母学院にやってきたのは目も耳も不自由という盲聾の娘マリー。野生児のようなマリーは学院の園庭を駆け回り、あげく木に登る。修道女のマルグリットはそんなマリーの手に触れた瞬間に確信する。「魂に出会った。驚くべき魂。輝くばかりの魂」と。マルグリットは自分がマリーの閉ざされた世界を開く、と学院長に頼み込みマリーの教育係になる。それからマルグリットの、凄まじい「教育」というマリーとの戦いが始まった……。

この、マリー役の少女。ちょっと最初から異質な雰囲気があり、妙にリアルな動きや浮世離れした感じで、「ああ本当に障がいがあるんだな」と思ったのだが、やはり実際に聾者という。なんか、輝きがというか、オーラが違うのだ。すごく粒子が細かい感じ。初出演の本作で、無辜で力強い素晴らしい演技を見せてくれる。

分けても繰り返すがラストの手話の演技、言葉は号泣ものであった。

マルグリットとのバトルシーンも体当たり獣演技だ。そして段々と本来の知性が溢れ出すくだりは感動である。

互いの世界を開き、高めていく至上の関係
そういう相手を人は求め続ける

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さて、マリーの世界を開いたマルグリットだが、マリーと出会うことでマルグリットの世界も開かれた。

「彼女は私の喜び。私の魂の娘。私の人生の光だ」。
マルグリットは修道女なので、子供を持つことは出来ない。しかし、マリーはマルグリットの娘だった。しかも、魂の娘だ。

私も子供を持たなかった。若い頃には子供を産むことを楽しみにしていたのだが、産む機会がなかった。もう産めなくなった今、「産んでおけば良かった」と何度も思うようになった。
今の私の子供は専門学校で教える生徒たちだ。魂の娘、息子たちに出会えるといいな。いや、もう出会っているのだろう。
彼らは私の喜びなのだから。

互いの世界を開いて高めて行く関係は至上だ。
人々はそういう関係を追い求める。魂の成長のために。
マルグリットの人生はマリーとの出会いで完成したのだ。

今生での学びを思い出させてくれる作品でもある。
とてもスピリチュアルな映画だと思う。

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■監督・脚本 ジャン=ピエール・アメリス

■出演 イザベル・カレ アリアーナ・リヴォアール ブリジッド・カティヨン

ジル・トレトン ロール・デュティユル

■94分

■6月6 日(土)~  全国ロードショー

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