「Being,Doing,Having」現実的にはそのどれもが大切。

「自己中」とBeingは違うもの。幸せになる「私の生きる道」へ

「ありのままで」が流行っていますが、なかなかそうもいかないのが現実であり、ありのままでいいのか?という考えもあると思います。

BeingDoingHavingという言葉を聞いたことがあるかもしれません。様々なカウンセラーなどが指摘するのが、Beingの大事さ。自分が存在するだけで十分なのだと認識しようというものです。もちろん、その人が存在するだけで素晴らしいという考えはあり、確かにそうだと思います。誰かと何かを比較するのではなく、自分自身をまずは自分が認めてあげるという状態です。

Doingは、何かをしている自分に価値を置くということですね。「世の中のために何ができるか」などという考えもここに入るというカウンセラーもいます。ワーカーホリックな方は、このDoingの価値観が高い方が多いでしょうね。「何の仕事?」と人に聞くのもこの意識。何もできない自分では人は認めてくれないと思いがちの方はBeingに意識を持ってみては? そのうえで、何かをしている自分が好き。誰かの役に立ちたいという方は、世の中で功績を残すタイプが多いのかもしれません。

さて、次はHaving。それは、私は持っているかどうか? 「持ってる人」は最近よく使われるようになりましたし、流行語大賞にもなったことがあるのですが、では具体的に何を持っている人というのでしょうか? この場合は、「運がある」という人のことだと思いますが、持っていることは、幸福をイメージしているのかもしれません。
持てる人と持てない人。例えば、お金がある人とない人、持ち家がある人とない人、コネがある人とない人etc。ただし、持っているから本当に幸せかとは言えないのが真実のようです。お金を持ちすぎて人が信じられず結婚もできない人もいれば、ボディガードをたくさんつけなければ生活できない人もいます。いやいや、そこまで金持ちでなくとも、ある程度の豊かさで十分と思った方は、実はそれはとても難しいことかも、と考えてみましょう。ある程度豊かで、ある程度自由で、ある程度……と思っている人のいかに多い事か。

何かを持っているかどうかは結果であり、それをどう使うかによって幸福感が違うのだと思います。私は持っているという人も、もう全然足りないと嘆いている人もBeingは常に見失わないでおきましょう。

「自己中」とBeingは違うもの。幸せになる「私の生きる道」へ

では、Beingだけでいいのでしょうか? これまた最近は当然の「ニート」。私っているだけでいいよね?と言わんばかりで、20歳過ぎても家にお金も入れない。時々アルバイトをするだけであとは親任せ。それが本当のBeingでしょうか? 何にもしなくても可愛いから、なんていうのはペットくらい。いえいえ、ペットも尻尾を振ったり、飼い主様のご機嫌伺いをしたり、実はかなり働いています。大人になって「すべて私は私」と言っていたら勘違いというのが現実です。

自分自身が誰かと比べたり、卑下したりしないように「『Beingありのまま」の自分を愛していたら、DoingHavingも豊かになっていくのかもしれませんね。「自己中」とBeingは、違うものだと認識したいものですね。はき違えると大きな孤独へまっしぐら、ということも。自分がどんな人なのか、時々感じたり考えたりすることことを、差別や劣等感や孤独に繋げるのではなく、個性として、また、区別としてとらえると「私の生きる道」が見えてきそうです。