あれこれ贅沢言っちゃダメ? 今を幸せに思わねばならないってそういうことでしょ!? いいえ! 違いますよ♪

〈今に満足し幸せを感じること=今以上を求めてはいけない ではない!!〉

幸せは条件では決まらないから、

今この状態で満足し幸せを感じること。

今ここの幸せに気づくこと。

この心持ちは、とても大切です!

でも……

だからといって

「贅沢しちゃだめなんだ」

「現状以上に高望みするのはダメなんだ」

と思わなくていいんですよ。

「今を幸せと思う」
ことと
「これ以上を望まない」

は、イコールじゃありません!

ひとまず「今」ある幸せを味わい

「今ここが幸せ」をただそのまま感じる。

それ自体が大事なのであって、

だから「今以上を求めてはいけないのだ」

ではないということです!!

 

〈今の幸せを邪魔するのは『ベキネバ』だった!〉

とにかく幸せや自分らしさの障害となるのは、

「せねばならない」

「してはならない」

「こうでなければならない」

「こうであってはならない」

という、

ベキ! ネバ! です。

ベキネバは言霊の響きからも

ネバネバとからみつく蜘蛛の糸のように

人の心にまとわり付いて捕らえられてしまうもの。

しかも柔らかくて、色んな形に変化するので

もがけばもがくほどに絡みつくものです。

だから先程の例「今に満足し贅沢してはならない」も、

かえって心を落ち込ませ、どうせ私なんて思考を産みます。

ベキネバの糸で自分を縛りつけ、

囚われの心、囚われの身となるのです。

 

〈今に満足せねばならないと自分を縛るとどうなるか〉

たとえば、

結婚したいけど結婚できなくても幸せと思わねばならない。
友達や親兄弟に恵まれているから満足せねば。

子供が居なくてもパートナーがいて幸せと感謝せねばならない。
子供を欲しがることは贅沢なことだから。

お金が無くても身の丈に合った生活をして幸せと思わねばならない
不満に思わず一生懸命に働かねばならない。

というふうに、自分の願望を「ねばならない」で

打ち消そうとすると、

まず十中八九、
肝心な今を幸せだとは思えなくなる!!

という、本末転倒現象が起きてしまうのです!!

高望みする自分を責め、どうせ自分は……と卑下して。

自己肯定感も低いまま、結局は不満のままなのです。

なぜかというと、

「ねばならない」と思っている時点で

「でも本心はそうではない!」

を意識して自分を責める作業になっているから!!

「本当はこう思わねばならないのに、
そうは思えない自分ってダメなんだ」

と思ってしまいがち。

これ! これが自己否定と罪悪感の素なのです。

 

〈今を幸せだと感じるために大切なのは〉

今を幸せだと感じるために大切なのはこの2つ!

1つ目は、

「ご飯オイシイなー幸せだなー」

「感動的な写真撮れた! 幸せー」

「大好きな香りに包まれて幸せー」

ただ単純に幸せをひとつひとつ味わうということ。

そして2つ目は

「こんなふうになりたい」「こんなことがしたい」

というふうに何かを願う自分のことさえも、

「こんな欲張りな私もかわいいなぁ」

「まだ欲しがるか! 私ってば女王様みたーい」

「神様におねだりするのは自由だもんね♪」

肯定的に受け入れてあげることなんです!!

それがもし叶わなくても叶っても。

どちらにせよ、何かを願う気持ちは肯定してオーケー!

「叶えねば幸せにはなれない」じゃなければ良し!

これならあなたにも今日からできそうでしょ?

そしたら、今この瞬間から実践してみましょうか!

「この記事を読んで気づけた私って、超幸運!!

さすが私は引き寄せるねー! もってるねー!

次はどんな幸運がやってきちゃうかなー」

てね♪

 

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