オーストラリア Temple Of New Dawn 夜明けの寺院から〜Amalin Story #8〜『愛すべき隣人サムのプレゼント・プレゼンスからの気づき』

あなたはどういう未来を選びたいですか?

〈精霊の棲む森〉

お久しぶりです。

読者の皆さまは、お元気でお過ごしでしたでしょうか?

八月はあっという間に過ぎ去り、九月ももうじきに終わりを告げ、日本では紅葉の美しい秋の到来、オーストラリアでは春から夏に向かうお花が咲きほこる季節の到来です。

すべてがドライに乾ききった乾季の盛りには珍しく、久々に夜通し大雨が降りしきり、その後の今朝はしっとりと濡れた空気が蜜のように甘く周囲を包み込んでいた。そんな霞みがかっている重さのある空気のはりつめたコアの農道を突っ切って、覚醒した普通さが素敵なドイツツアー帰りの覚者パット(彼女については#7を読んでください)の早朝瞑想会に出かけました。一緒に参加していた友人ピーター(別名ピーターパン)が帰り道に家に寄り、私を待つ間に見つけてくれた森の中に隠れていたネーティブな真っ白くこぶりで華麗な蘭の花群を紹介してくれて、この土地で開花したのを初めて見かけたから大喜びなアマリンです。
あまりに素敵な体験にピーターの帰った後も、そのまま広大な敷地内の森の中を「他にも誰か隠れていないかしら?」と探索に出かけてみました。

すると、種々なネーティブな欄やホヤやブラックボーイらの香り高い花々がひっそりと片隅に隠れて咲いている姿にいっぱい遭遇でき、心が洗われ、清浄楚々としたそれぞれのお花の持つ高貴な自然霊のいでたちに感動し、心身ともに深く癒されたのです。
自然霊たちははごく繊細にことばなくそっと微細体に触れ、優しく深く私たちを癒してくれるのです。

日本での忙しさの延長のままに忘れかけていた「精霊たちの棲む森」のディスカバリーでした!
自然とともに感謝のある生活にやっと帰ってきました。私の場合は元に戻って精霊にウエルカムされるまで自然な状態の私に帰還するまで、いつものことですが帰国後三週間はかかるんですね。
しかも、今回は仲良しピーターパンのお手伝いがあってのことでした。
仲良しなピーターパンに感謝!

*忙しいとは「心を忘れる」と書きますが、どんなに忙しくとも、繊細な心を忘れないように生きていたいものですね。

 

〈エンライトメントの時代ついに到来!〉

真夏の日本訪問では、久々にお声掛けをいただいた「癒しフェア」スポンテニアス、粋で深みのある講演をシェアでき、充足感とともに嬉しかったのは束の間、時空の流れは超特急で「あらっ、私ったらトリニティーさんの記事を書く間もなかった!」ってな具合にあっという間もないほどに、一気に夏は飛び去っていたのでした。

この頃は、どうしてこんなに目まぐるしいほどに、いろいろな事象が混じり合って起こってくるのでしょうか。何であれ、その時に一番重要な目の前にあることをあれこれと悩み考える間も無く、瞬時に決めて行動しているだけがやっと、すべてがまるで走馬灯のように怒涛のごとくに過ぎ去っていきます。そして、次の瞬間も同様に、目の前にあることに対応しキチンと処理して終えて、次にやってくることにも同様にかかって終えていくという次第で、それをただ淡々と繰り返しているというのが今日この頃の私の生活です。

ここで大切なことは、そこにはなんの悩みも悔いもなく、ただそこで展開しているあれこれを距離をもって観ている『丘の上の観照者』である誰かが覚醒して確実にそこにいるということです。
とても静かでよどみがない感覚がそこで同時に流れています。

どこからともなく飛んでくるネガティブな思考が胃のあたりにチクっとつき刺さってくる感覚が時々やってきたりもしますが、それも「これは私ではない。」とサラッと流してしまうと、また平和な感覚が戻ってきます。
そして、そのままここでできることを継続してやり続けていますが、内側では動かない『今ここ』に停止して安定している誰かがいます。
最近の私の生き方はとてもシンプルで、そういう風な状況の繰り返し人生ともいえます。いたってシンプルです。

そして、すべてを背後で見ている覚めている誰かが必ずそこにいます。

ここに来て、今まで30数年以上にわたり練習してきた瞑想がやっと生きてきているのではないでしょうか。ついに生活の中で瞬時瞬時に起こる瞑想の日々の到来です。
その次元で生きてみませんか?

今、そういう時空にすでに入ってこられた方も多いのではないでしょうか? エンライトしているマスターが普通に生活している、パソコンの前で仕事している、街角のパン屋さんやお蕎麦屋さんがそういう人である、ついに、そういう、それが当たり前で普通なことである時代の到来なのではないでしょうか。

そもそも、エンライトメント(光明)とは『普通(それぞれの自己の普通さに安定している人・肩肘張っていない人)であること』『格別に自由であること』『こどものように無垢であること』ともいえます。

日々是丹精。
その成果は確実に、誰の上にもやってきています。そういう光である意識の時代の流れのウェーブに乗ってください。

ついに、水瓶座の時代・21世紀のテーマである、エンライトメントの時代、光の時代、意識の時代の到来です!!!