Temple Of New Dawn 大いなる愛と静寂と歓喜の究極の出会い!〜Amalin Story #5

How beautiful this moment is!!! Osho and TAMO-San finally merge in the Ocean of Consciousness! Dream comes true……

Amalin Story #5 〜 #1 #2 #3 #4からのつづきとして読んでくださいね〜

<太母さんとOSHOのエネルギーの融合と出逢い>

さて、いよいよ、OSHOと太母さんという二人の覚者の1989年に起こった歴史的な出会いの情景をここに再現できる喜びとともに、皆さまを一歩一歩ガイドしながらその場にご一緒しているような臨場感とともにカラフルにシェアしていきたいと思います。

ここで、その当時を思い起こしながら再現していくうちに、私自身が新たに気づいた多くの理解もあります。28年前の私には見えなかったことが、こうして今ここに理解され新たに生きてきます。過去の物語が未来へ向けて『今ここ』で再誕生です。

そして、この出会いは『今ここ』にも続いている永遠の流れの中に、エネルギーとして今も実在しています。ですから、これを読んでくださる皆さんにも、その当時から今に続く『今ここ』を体験していただける、時空を超えた体験シェアともいえます。時間をかけて、ゆっくりと楽しみながら読みすすんでください。

太母さんの訪問前の受け入れについての前4号のコミューン側OSHO世界秘書ハシャとの交渉のくだりから以下に続いていきます。

●交渉その一●
アシュラム内に高齢の太母さんが休める個室を確保。

●交渉その二●
訪問者は誰もが受ける必要があるエイズチェックのルールに関しても「太母さんは当時83歳で、50数年以上前に子供を産んで以来セックスなどは明らかにしていないし、医者の注射針さえも受けていない人にも、それが果たして必要なのか?」と強気で交渉しましたが、この城壁はこの時点では難攻不落の壁でした。「OSHOのお母様ですら受けている。」と言い返されました。

この件に関しては、太母さんが到着した、その朝ギリギリにOSHOから直々に『太母さんの滞在中、エイズチェックも含め、彼女には一切のルールは適応しない。すべてに於いて、彼女がありたいように自由で快適に過ごしていただくように。』とOSHO主治医のアムリットに伝達され、Dr アムリット直々にそのOSHOの言葉を伝えにやってきてくれました。太母さん専用に準備された豪勢な大理石の客室で早朝6時到着後からゆったりとくつろぐ太母さんへと、朝8時すぎに「さすがにOSHOだ!」と感じさせる好メッセージが届いたのです!

再度、ここでも「万歳!三唱!」やった〜!!!の大喜び!

*エイズチェックに関しては誤解を招く節もあるので、ここで少し説明を加えます。
1984年頃にエイズが世の中を震撼とさせた時、OSHOはオレゴン州にコミューンを持っていました。当時、得体の知れないエイズの未来に向けての危険性を察知した OSHOは即刻措置をとりました。彼のコミューンへの訪問者や居住者は全員エイズチェックを3ヶ月毎に受けることが決定され、それ以来その実施は今も続いています。インドプーネのOSHOインターナショナル瞑想リゾートは今もエイズフリーゾーンです。弟子たちをエイズから身を守るための彼の早急で懸命な対策です。

そういう交渉をする中、いろいろなOSHO側のオフィシャルな人達が助けてくれて、ことは順調に進み、太母さんが到着した早朝の飛行機のお迎えにはOSHOコミューン側から特別来客送迎用のメルセデスベンツを用意してくださり、太母さんは丁重に出迎えられて、コミューンに無事到着しました。

太母さんをケアする人たちがアムリットからの上記のメッセージを受け取ると、すぐにアシュラムの主要な場所を案内してくれました。通常は誰一人として、エイズチェックなしで中に入ることはできません。ですから、この措置は相当超えてるVIPな扱いでした。

中でも印象的だったのは、新設されたばかりの豪華であると同時にシンプルなOSHOテイストのベッドルームです。天井は高く円形に近い部屋は周りがガラス張りで周りの自然と溶け合っています。気品高く白のイタリアンマーブルとオーストリアから皆んなが手持ちで持ち込んだ最高級クリスタルで手造りした、天井面積の三分の一くらいをしめる大きなドーナッツ型シャンデリアは、部屋の中心的アクセサリーでいつもキラキラ妖精のように輝いています。スペーシャスで静寂に満ちた天空を飛ぶスペースシップみたいに、守られていて心休らかに安心できる瞑想的な空間です。

その特製のベッドルームに案内された時のことです。のちにそこはOSHOサマーディー(荘子・チャンツーと呼ばれる瞑想のためだけに使われる部屋)として彼の香り高い聖なる灰(光明を得た人のボディーを香木白檀で燃やした灰は2千年超えたのちもその波動と香りを保つそう)を納めた墓所であり、今もなお、静寂で香り高い気の中で瞑想できる場所となったのです。OSHOがボディーを去って以来28年目の今となっては、この瞑想リゾートの中で私がこよなく愛する、静寂と神秘に満ち、涼やか、愛満ち溢れ、静観できる、いつも落ち着いていて守られている感覚のある、暖かな安心できる子宮の中に入って座っているような、ただ、ここにいるだけで『今ここ』と即座に瞑想の起こりえる場所だといえるでしょう。こういう在り方(何もせず、誰になる必要もなく、どこに行く必要もない、ただ今ここ……)でいることが許される本当の意味での贅沢な場所は世界の中でもここだけじゃないのだろうかと今は思えるのです。

その中をツアーする時の太母さんの発言は今も私の心に強く残っています。
嬉々として私たちを案内してくれるOSHO大使のラニが「このベッドルームをOSHOが指示して急いで造らせたのですが、彼がここで眠ったのはたった三晩だけ、その後はまた元の小さなベッドルームに戻ってしまいました。」

それを聞いた太母さん『こんなだだっ広い冷たい感じのところで眠れるわけがない。落ち着かんのう。』と一言。

確かにその通り。今は誰にも分からないことですが、おそらく、OSHOは自己の死が近いことを知っていて、急いで彼のサマディーになる場所を造らせて準備させていたんでしょう。三日間そこで過ごすことで、彼の香りやエネルギーを大理石で囲まれたチャンツーに浸透させてくれたのでしょう。
大理石は光明した人のエネルギーを二千年間保つそうですから。

当時、そこに隣接した小さく簡素なベッドルームで休んでいるOSHOの軽くて高貴、そして深く根付いている深淵な静寂エネルギーを、すぐ横に感じながらの老子ハウスのツアーでした。OSHOも太母さんと一行のエネルギーを感じていてくれたことでしょう。

今思い返すと、太母さんのお寺のエネルギーと似通っている、暖かく同時にクールで静寂、永遠に広大なとても休まる空気が充満しています。でも、決してシリアスじゃなくジャッジメントのない、いつも暖かく自由であって、常に受け入れてくれるエネルギーです。この感覚・空気・エネルギーは永遠に時空を超え、今ここまで続いています。

絶え間なく脈々と大海にたどりつくまで流れ続ける大河ガンジスのように、普遍的でたえまなく、常に今ここにあるのです。

これがエンライトメントな感覚であり空間なんですね。

目を閉じるだけでそこに一緒にある感覚……

包まれているような安心できる感覚……

とても懐かしい感覚……