賢い利己主義と、愚かな利己主義。ダライ・ラマ法王講演レポート

ダライ・ラマ法王 2013年 来日講演会レポート PART.3
ダライ・ラマ法王

自己中心的な考え方があまりにも強いとさまざまな問題が起きてくる

「私自身は1970年代から違う信仰の方々、違う国の方々、さまざまな人にお目にかかるということによって感じてきたことは、私たち人間の一人ひとりがグローバルなレベルにおいて、すべてにおいての責任をそれぞれの肩に背負っていくべきであるということを感じてきたわけです。

もちろんこの世界全体が幸せで、そして平和なものである時、そのなかに住んでいる個人個人も幸せな生活を送ることができます。しかしその社会がたくさんの問題を抱えていて、不条理なことに満ちていて、虐待や搾取などが起きていると、そこに住んでいる一人ひとりの方々も苦しむことになってしまうわけです。

そこで何年も前から、「私」というあまりにも強い自我意識に基づいた自己中心的な考え方があまりに強いと、そういうことからさまざまな問題が起きてくる、ということを私は皆様方にお話をしているわけです」

利己主義は誰しもが持っているけれども、求められるのは「賢い者としての利己主義」

「もちろん自分が幸せな人生を過ごしたいという願いは誰しもが持っているわけですが、他の人はどうなっても自分さえよければという願いが強ければ強いほど、他の人はどうでもいいという思いがますます強くなってしまうわけです。そのような願いに基づいて自分のことばかりを考え、自分の面倒をみるということでめいっぱいになってしまいます。しかしそのような気持ちは誰しもが持っているわけですが、もし、私たちが自己中心的な態度でそのように生きていくならば、愚かな利己主義というものをせずに、賢い者としての利己主義というものをしていかなければなりません」

他の人への思いやりが自分の幸せをもたらす

「つまり、他の人を思いやるということが、自分の幸せをももたらすということを理解して自分のことをケアしていくというのが賢い者の利己主義です。しかし、他の人はどうでもよいということによって、どんな悪い行ないにも従事してしまい、自分のことばかり考えるのは愚か者の利己主義ということになります。愚か者の利己主義に陥ってしまいますと、私たちは狭い視野に立ってしか物事を考えることができなくなってしまいます」

So since 1970s, I think (laugh)…, I have sort of meeting of more interaction with different people, different religion. In that meeting, I felt a sense of global responsibility; because if the world is happy, each individual are peaceful. If the world remains trouble, injustice, exploitation, we individual also suffers.

So since many years, I have been telling people we are selfish, why we don’t stop this and decide to achieve a happy life. By nature we have that. So we have to take care of one self.

If selfish there, okay. But selfish should be “wise selfish” rather than “foolish, shortsighted narrow mind selfish.”

~PART.4に続く~

(2013年11月25日 東京ダライ・ラマ法王来日講演「日常の中で活かす仏教の智慧~ダライ・ラマ法王と語ろう~」より。※英文はダライ・ラマ法王がご講演で話された内容そのままを転載。)
取材協力:ダライ・ラマ日本代表部事務所 http://www.tibethouse.jp/

ダライ・ラマ法王14世(His Holiness the 14th Dalai Lama)
1935年チベット東北部にあるタクツェルという村落に生まれる。2歳の時、ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認められ、15歳で政治・宗教両面の国家最高指導者となる。1959年に亡命し、インドのダラムサラに亡命政権を樹立。チベット問題の平和的解決を訴え続け、1989年ノーベル平和賞受賞。2011年8月には政治的地位を主席大臣のロブサン・センゲ氏に委譲。78歳となった今もチベット人をはじめ世界の多くの人々の精神的指導者として活躍している。