松田有真のミラクルHappy☆Life宮古島~宮古島の昔の人々の暮らしとお水を、もう一度PART.1~

宮古島、人と水の歴史

ところで、皆さんは、覚えていらっしゃいますでしょうか?  水道が普及する以前の宮古島では、雨の降る日には屋根から樋(とい)を伝って流れ落ちる雨を瓶に溜めて使用したり、庭先にクバの葉を吊るしそこから雨水を得て瓶に溜めて使用していました。

また、生活用水を得る為に、主に婦女子が中心となり、深い自然の洞窟(洞井(ドゥガー)・降り井(ウリガー))から湧き出る水や、断崖絶壁の泉から、足元の危険な階段を、重い瓶を担ぎ何往復もしてお水を確保していました。

水は人か生きていく上で欠かせない大切なもの……。宮古島に人が住むようになったのはいつ頃からかは定かではなく、その歴史は伝説として伝えられているような神秘的な内容が多いのですが、いずれにしても、島で暮らし始めた人々が、水の湧き出る「泉」を発見し、井戸や雨水から生活用水を確保していた時代から、現在の豊かな暮らしに至るまでの道のりは、それは容易な事ではなかったことが思い起こされます。

 

このように当時の生活を言葉で説明することは簡単ですが、いざ、それが実際にどんなものであったのか?という所までは、なかなかイメージがしづらかったりする部分はありませんか?

先月の記事掲載から数日後のある日、ふと思い立って宮古島市役所の「上下水道部」総務課という所を訪ねてみました。すると、思いがけず1967年に発行された古い宮古島の貴重な資料「宮古島水道誌」をお借りすることが出来たのです。

そこで、今日はお借りした資料の中から写真を引用させて頂き、当時の生活の様子をビジュアルで皆さんにお伝えしてみたいと思います。少し懐かしいモノクロ写真で当時の島の人々の生活の様子を覗いてみましょう!

写真で見る昔の宮古島の人々の暮らしとお水

自然壕から水を汲み出す女性の姿 

日々の生活用水を得るために、険しい道を超え、数キロも離れた井戸に通い続けるのが当時の婦女子の日課でした。暗く、足元の滑りやすい危険な階段を深くまで降りて行き水を汲みあげる作業を行います。

水汲みに始まり、水汲みで終わる日々……。洗濯、炊事、それは彼女たちが憩いくつろげる僅かな時間であったそうです。上の写真で女性が頭上に乗せているのは杉材で作られた水桶。俗称「タグ」と呼ばれるもので、およそ20ℓの水を汲むことが出来るそうです。

南方からの伝来なのか、当時の婦女子は、頭に荷物を乗せる風習があったそうですが、このことが災いして、過労のあまり頭痛を訴え、のぼせを起こす人や、中には、失明する例が多数あったそうです。

老女に盲の方が多かったのはそのせいであると言われています。

 

こちらは村の娘たちが集団で水汲みをする風景。頭の上に重い水瓶を乗せ、自宅と井戸の間を一日に何往復もします。水道が普及する前までは、その部落のどこかで建築工事があれば村の娘は総出で水汲みをしたそうです。

ある主婦が当時の様子を振り返りこのように語っていたことが印象的でした。「一番鳥の鳴く頃(午前3時頃)に起きて、朝食の準備をする頃までに2、3回井戸に通い、朝食を済ませてから更に2、3回。また、夕食を済ませて夜の10時頃まで3、4回通わなければ、1日分の水は得られなかった」「婦人の生活は殆ど水汲みに費やされ、その為、過労のあまり病気にかかるものが多かった」

これが日々の生活用水を得るために毎日、毎日、繰り返されていた当時の女性達のお仕事です。このことについて婦人は「身震いをするようにしながら語っていらした」そうですが、当時の事を思い出すと、その時の苦労や苦悩が蘇ってきたのではないかと思われます。豊かな時代に生きる現代の私達には、深く考えさせられてしまうものがありますよね……。

その他、昔の宮古島では、掘り抜き井戸を掘って水を確保したり、庭先で雨水を溜める方法によって生活用水を確保していました。