松田有真のミラクルHappy☆Life宮古島~しあわせ島時間PART.2 命を繋ぐ大事なお水⑥

島の人々の暮らしを支えてきた井戸
「ガ―」は生活の場であり交流の場だった 

18世紀初期に書かれた古い宮古島の歴史書には、59か所もの井戸が記録されています。大和井(ヤマトガー)、成川井(ナズゥガー)、ヒダ川(ヒダガー)、野加那泉(ヌガナガー)、野城泉(ヌグスクガー)、友利あま井(トモリアマガー)、ムイガー、保良ガー(ホラガー)など、現在でも島のあちこちに「ガー」を見ることができます。宮古島には随分と沢山の井戸が点在しているのですね! ところで、上記の井戸の名前に見る「ガー」というのはいったい何でしょうか? きっと、ご存知の方もいらっしゃいますね……! 宮古島地方では、井戸や湧水のことを「ガー」と言います☆ その他の地域では、「ガー」ではなく「カー」と呼んだりするのを聞いたことがありませんか?いずれも独特の表現ですよね!

井戸(ガー)は、人々が頭上に水がめを乗せて行き交い、時には立ち止まって交流する生活の場であると共に、飲料水や生活用水、灌漑用水の全てを賄う「大事水源」でした。宮古島の集落の中には、必ず井戸がありました。というよりも、井戸を中心に集落が形成されていったという方が正しいようです。

宮古島市城辺にある「野城泉」(ぬぐすくがー)という湧水の場所

洞窟式、降り井など
さまざまな種類がある「ガー」

この「ガー」には、自然の湧水がある洞窟式の「洞井」や、そこからさらに階段を降りて湧水点までいく「降り井(ウリガー)」そして、人の手で掘られた「掘り井戸」や崖から地下水が湧き出ている泉など様々なタイプのものが存在します。階段を降り湧水点まで行く「降り井(ウリガー)」では、釣瓶や樽か石油缶で水を汲みあげ家庭まで運んで使用しなくてはなりませんでした。井戸の深さは、浅いところで数m、深いところでは20mかそれ以上もあります。

 

この水汲みの仕事は、近年になって水道が引かれるまで、島の人々(中でも主に婦女子)の日課でした。毎日、毎日ひたすら繰り返されるこの作業を行うことは、どれだけ大変だった事でしょう。重い桶を担ぎ、暗い石段を上り下りしては水汲みを行う日々……。その多くは、一斗缶2個に水をいっぱいに入れ、これらを天秤棒で肩に担い100段近い石段を昇り降りしたといいます。この40kgにもなる荷物を運ぶ作業は、婦女子にとっては非常に辛い作業であり、水に濡れて摩耗した石灰岩の石段は滑りやすいため、とても危険な作業でもあったそうです。島で生活を営み、命を繋ぐために繰り返される毎日の労働。昔の方たちは、これらの気の遠くなるような作業を毎日毎日ひたすら行っていたのですね。豊かな生活が実現している今の私達には、なかなか本気の覚悟がいる労働です。

井戸から水道へと変わり
水の恩恵を身近に感じられた

この「井戸」の地下水も、宮古島では特異な地質上、時間が経過すると海へと流出していってしまいました。その為、干ばつ時には、地下水位が低下してしまい、取水が困難となってしまうことがあったのです。

宮古島の地質と井戸水の仕組み(詳細は前回の連載記事をご覧ください)

この時代が長く続き、これらの井戸を「簡易水道」として島内に普及し始めたのが1950年代から60年代にかけてのこと。その後、地下ダムが建設され灌漑用設備も整い、生活用水も各水源から浄水場を経て市街地に供給する工事が始まり1967年に全島の水道化が果たされました。今、当たり前にあるお水、豊かさの恩恵を受けられている私達。日々の生活の中ではつい忘れてしまいがちですが、これって本当にありがたい事だったんですよね!b改めて、豊かなお水のある暮らしに感謝です。

ところで、この“井戸繋がり”で、もう一つ……☆

宮古島と周辺の島も含めた地域には“ある独特の面白い地形”が存在している事を皆さまはご存知ですか? 観光で宮古島を訪れたことがある方はこの不思議な「独特の地形」に遭遇したことがあるかもしれませんね!

その「不思議な地形」とはいったい何でしょう?!