この映画に私達の心は揺り動かされる。 「おやすみなさいを言いたくて」

愛する家族か、使命ある仕事か、彼女が選ぶのは……

『イングリッシュ・ペイシェント(1996)』でアカデミー助演女優賞を獲得した
ジュリエット・ビノシュ主演の注目作が、ついに日本でも公開される。

原題は『A Thousand Times Good Night(千回のおやすみを)』。

シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の、有名なバルコニーシーンで
別れを惜しむジュリエットがロミオに伝える愛の台詞を、エーリク・ポッペ
監督は親子の愛の表現として用いた。本当は毎日ベッドサイドで「おやすみ」
と言って子供を抱きしめてあげたいのに、仕事に邁進するばかりに
そうしてあげられない母親。この映画は、紛争地帯で一流の報道写真家として
活躍するレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)と、その家族が抱える葛藤の物語だ。

「愛する家族か、使命ある仕事か、彼女が選ぶのは……」
優しい海洋科学者の夫マーカス(ニコライ・コスター=ワルドー)と
かけがえのない2人の娘をアイルランドの家に残し、命の保証がない
紛争地帯へと仕事に向かうレベッカ。理解ある家族の下で、何もかも
上手く行っていたと思っていたレベッカだが、命に関わる事故に
遭ったのをきっかけに転機を迎える。いつ生きて帰るか分からない
レベッカを「待つ」事に疲れ切った家族。自分がその崩壊の原因だと
痛感し、母親として生きて行こうと決断するレベッカ。
しかし彼女の中には、どうしても捨てきれない仕事への思いがあった。

危険な場所で写真を撮り続ける意義を尋ねる娘ステフ(ローリン・キャニー)に、
レベッカはこう語る。「コンゴ紛争では、第二次世界大戦以降で
最大の500万人以上が死んだのに、当時世間はパリス・ヒルトンの
ニュースに夢中だった」「自分が写真に撮らなければ闇に埋もれてしまう
事実を、世界に伝えなければ。写真を見れば人々の行動が変わり、
世界だって変えて行ける……」しかしその崇高な理想は、家族を犠牲に
してまでも追い求めなければいけないのだろうか。映画が進むにつれ、
私達はこの正当性も考えざるを得なくなる。

ポッペ監督が描く「非情の中の詩情」
物語には大抵悪役が出てくるが、この映画には登場しない。レベッカも
家族を愛しているし、夫や二人の娘は母(妻)を心配するがゆえに、
危険な仕事を辞めて欲しいと願っている。物語で対峙しているのは
「正vs悪」「夫vs 妻」「親 vs 子」ではなく、それぞれが自分の内側に
抱える「愛から生じるエゴ」だ。家族は相手を思いやるが故に、
互いに傷付けてしまう場合もある。

ポッペ監督は、その葛藤を「非情の中の詩情」の映像を作り出す事で
見事に表現している。カブールの乾いた大地とアイルランドの海岸、
戦争と平和、悲しみと喜びを、時に幻想的なインサートで巧みに描き出す。
脚本のハーラル・ローセンローヴ・エーグは、おそらく監督から
相当なラインを削るよう指示されたのではないだろうか。「一流の
ピアニストは聴こえない音を聴かせる」と言われる。映画も同じだ。
登場人物が喋りすぎると、本当の心の声が消されてしまうが、この映画は
レベッカや夫マーカス、娘ステフの声にならない葛藤が
スクリーンから漏れ聞こえてくる。

注目は娘役のローリン・キャニー
今回オスカー女優のビノシュの演技を喰う勢いなのが、オーディションを
経て役を勝ち取った娘ステフ役のローリン・キャニー(16)だ。彼女は台詞に
隠された本当の意味を伝える。例えば劇中、九死に一生を得て家に戻った
レベッカに「価値があるといいね、ママが撮った写真」と穏やかに語りかける
シーンがあるが、その背後に「命を脅かしてまでそんな写真を撮りに行く
価値があるの?」という皮肉もきちんと見え隠れする(字幕では「価値が
あるの?写真」とストレートな表現になっていたが……)。後半で母親と
取材に行ったケニアの難民キャンプで遭遇したアクシデントの後、
ステフの心がどう変わるのかが見所の一つになっている。

映画を盛り上げる細部に宿る真実と普遍的な主題
真実とフィクションを、皮一枚で表現する「虚実皮膜(きょじつひまく)」な
ストーリーが観客を一番引きつける。ポッペ監督自身が元報道写真家で、
「ドキュメンタリーの要素」にとことんこだわって作成しているため、
この映画は細部に渡ってリアルだ。主演のビノシュは、カメラの中に入れる
メモリーカードもプロが使用するものと同じ物にこだわる徹底ぶりだったらしい。
レベッカと夫との喧嘩や、レベッカと娘の含みがある会話はどの家庭でも
繰り広げられているだろうし、紛争地域の報道カメラマンを描いた映画
『Under Fire(1983)』の主題が「政治の正当性と自分の中立性」にあるのに対し、
『おやすみなさいを言いたくて』は「仕事か家族のどちらを優先すべきか」
という普遍的な葛藤が主題であるため、観客はよりレベッカや家族に
感情移入しやすい。

太宰治は、小説を書く理由を「誰も光を当てなければ永遠に闇に葬られて
しまう美しい宝石のような出来事に、自分が書く事によって光を与えたい」
と語っていた。おそらくレベッカもそんな「選ばれし才能に与えられた責務」
に駆られていたのかもしれない。

真実を伝える芸術家は勇敢で美しい。しかしその情熱と自分の命より大切な
存在を天秤に掛けた時、釣り合う事は可能なのか。傾くのは必須なのか。
ポッペ監督が提示したテーマに、きっと完璧な正解はないのだろう。
だからこそ、この映画に私達の心は揺り動かされる。

 

■監督 エーリク・ポッペ
■脚本 ハーラル・ローセンローヴ・エーグ
■音楽 アルマン・アマール
■出演 ジュリエット・ビノシュ、ニコライ・コスター=ワルドー、
■ローリン・キャニー、マリア・ドイル・ケネディ、
■ラリー・マレン・ジュニア
■118分
■2014年12月13日(土) から、
角川シネマ有楽町、渋谷シネパレス他 全国ロードショー

「おやすみなさいを言いたくて」公式サイト
http://oyasumi-movie.jp/index.html
後援 ノルウェー大使館
配給 KADOKAWA
2013年 モントリオール世界映画祭審査員特別賞受賞・
エキュメニカル審査員賞スペシャルメンション
2013年 ノルウェー映画批評家協会賞 作品賞・功労賞(撮影)受賞
2913年 シカゴ国際映画祭設立賞受賞
2014年 ノルウェー国際映画祭 アマンダ賞 作品賞・撮影賞・音楽賞受賞
(c)paradox/newgrange pictures/zentropa international sweden 2013
PHOTO(c)Paradox/Terje Bringedal