一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.56 「6才のボクが、大人になるまで。」

少年と家族の12年間を12年間毎年撮影
画期的な手法で仕上げた家族のドラマ

6才の少年が実際に18才になるまでの12年間を、同じ主要キャストで毎年撮り続けたという新しい試みの劇映画。ドキュメンタリーじゃないところが面白い。少年の成長とその家族の12年間の変遷が淡々と2時間45分描かれる。子どもたちは体がどんどん大きくなり成長し、大人たちは太り、痩せ、そして老けていく。私たちは少年の多感な時期の12年間を見せられるわけだが、まるでお隣さんの男の子の成長を12年間見守らせてもらったような気分になる。また、12年だけど、その家族の営みはこれまた「人生」を深く感じさせて感慨深い。
この映画で描かれたことの繰り返しで、人間は生きていくのだな、としみじみさせられる。大丈夫。人生はどんなことがあっても流れていく・・・と、妙に安心させられる映画でもあった。

あらすじを少し。
6才のメイソンはテキサスからヒューストンに母と姉とともに転居し、そこで思春期を過ごすことになる。離婚してキャリアアップを目指す母親は大学に通いだし、離婚した父親は月に一回メイソンたちと会うが、ミュージシャンになる夢をあきらめられず、いつまでもふらふらしている。そして母親が再婚するが、義父はとんでもないアル中の暴力男で、母親はついにメイソンと姉を連れてほうほうの態で逃げ出す。メイソンはそんな家族の悲喜こもごもの中成長していく・・・。

父親とメイソンたちの会話が秀逸!
家族の話は細かいエピソードが肝だ

家族の話はどんな家族の話でも面白い。100の家族があれば100の物語がある。決して同じ話はない。だから、本作も淡々としていても会話やちょっとしたエピソードが実に面白い。
たとえば離婚した父親とは月に一度メイソンたちは会うのだが、それも成長してくると会話がなげやりになってくる。
「元気だったか?」「うん」「学校はどう?」「まあまあ」「なにか面白いことあったか?」「別に」という具合である。カチンときた父親は車を止めて「なんだその返事は? これじゃコミュニケーションじゃないだろ? 学校で嫌な奴がいてさ、大変なんだよ、とか、好きな男の子がいるんだけど私のこと興味ないみたいなの、とか言うのが会話だろ?」と力説する。するとメイソンと姉は「まずパパのことから話してよ! それに、もっと聞き方を変えて!」と言うのだ。父親は「おう?
わかった…。まず俺のことからだな」と車を発車させる。
どこの家族にもありそうな会話。でも、たいていの父親は「コミュニケーションになってない!」なんて言わないんじゃないかな? そういう意味で、とても魅力的な父親だと思う。この父親と子どもたちのエピソードはどれも面白い。メイソンはこの父親の影響を色濃く受けている。

俳優たちの容姿の変化に驚きつつ、
わが身の越し方を振り返る

代わって母親。彼女がラスト近くにメイソンに放った言葉は、子を持つ母親は共感しきりみたいだけど、私は「後は葬式だけでも、生きていかなきゃね・・・」と静かに思った。だって、それが生きるってことだもん。
母親役のパトリシア・アークエット。最近映画出てないと思ってたらえらく太って巨大になっていた。12年間ちっとも痩せず、口元の皺とか彼女が一番老けていってた。白人の女性の12年間は非情なものがあるなあ、と再確認。

また、6才の時は女の子みたいに可愛かったメイソンも、成長するにつれどんどん顔が変わって不細工になってきて、18才になった頃にはルックス的にはただの薄汚い青年になっていたのがなんとも残念(笑)。やっぱ白人は旬が短いな、とこれも再確認(笑)した。

俳優たちの上に刻まれる12年という歳月がリアルで、そして容赦なく非情で、同時にわが身の12年を振り返らせてくれる一作でもある。

■2014年11月14日(金)大阪ステーションシティシネマ ほかロードショー
■監督・脚本 リチャード・リンクレイター
■出演 パトリシア・アークエット イーサン・ホーク エラー・コルトレーン
ローレライ・リンクレイター マルコ・ペレラ
■165分

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