アンガーマネジメントVol.42 ~ 足下の泉を見よ ~

自分の意思ではないことがやってきたとき
「いやだな」と思わず、まず自分の足元を掘ってみる

ものすごく頭に来たり不安になったりすると、「自分はこれからどこに行けばいいのか」分からなくなり、本来の目的地からどんどん遠ざかる方向音痴的な行動を取ってしまいがちです。(ビルから出ると、駅とは全く逆の方向に歩いて行ってしまう私のような行動パターンです…)

私もたまに感情を乱されます。そんな時は「足下の泉を見よ」というフレーズを思い出すのです。

今回は、この言葉を掘り下げて考えてみましょう。

この言葉は、哲学者ニーチェの言葉です。

せっかくなので、著書から引用してみます。

「きみの立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足下にある。ここではないどこか遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に最も合ったものを探そうとする若者のなんと多いことか。
実は、自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている」

この言葉を実践している方が、元宮城県知事の浅野史郎氏。ご自身が血液がんのT細胞白血病と診断された時、絶望していたのは1時間。その後は『闘う』事を宣言したそうです。当時浅野氏は宮城県知事を歴任された後、慶應義塾大学で教鞭を取り、2本のテレビレギュラーを抱えていましたが、治療に専念すると決め、大学の講義を休講にし、テレビ番組も降板します。

普通の人だったら、今持っているものに執着しそうな所ですが、どうして浅野氏はこんなに早く頭を切り替えられたのでしょう?

これについて、氏はこう語っています。

「これほどの吹っ切れた思いの裏には、「足下に泉あり」という言葉があったことは確かだ。人生で、人事異動も、人との出会いも、そして病気も、自分の意思ではなく、「上から」やってくる。そんなとき、「いやだな」と思わず、まず自分の足元を掘ってみなさい。目標は足元にある。掘ってみると、必ず泉が湧いてくる(2014年10月16日朝日新聞より)」

遠くの未来や不安はつかみどころがない幻影みたいなもので、確実な事は「今自分は何ができるか・何をすべきか」なのです。

写真で見た外国の泉の水を汲みに行こうとしなくても、自分の足下を掘れば必ず喉の乾きを癒せる水が湧き出します。

『やさしき道しるべの光よ
わが足もとを照らせ
ゆくすえ遠くに見るにあらず
ただ、ひとあしにて、足れり』

という賛美歌の歌詞とともに、ぜひ今回の記事を心に留めておいて下さい。

(参照)
『超訳 ニーチェの言葉』ディスカバートウェンティーワン