海猫屋の「不思議なことなどなにもない!」宣言しちゃったモンの勝ちじゃんよ?!PART.2

海猫屋の「不思議なことなどなにもない!」宣言しちゃったモンの勝ちじゃんよ?!PART.2

スピリチュアルの世界でのプロ意識とは

私自身が一流から三流のどこに属するかはさておき、自分がプロであるということは自負しています。そしてなによりプロフェッショナルな人たちに囲まれて、ここまで仕事を続けてきました。そのなかでも一流の人たちと出会えたこと、その人たちと一緒に何かしらの仕事が出来たことは私にとって大きな財産です。
そして宇宙との繋がりや天使との出会いにも、最初の入り口にはプロフェッショナルと呼ばれる人たちがいました。
ただ私が今まで見てきたクリエイティブの仕事とスピリチュアルの仕事の違いで驚いたのは、スピリチュアルの世界ではプロ意識が実に曖昧である、ということでした。

対価をいただく以上、その対価に見合ったプロ意識をもって当然だと私は考えています。

例えばイラストの仕事の場合、カラーイラストの発注があったとします。私のなかでは大きさや使われる媒体、または注文内容によって、それぞれ金額のライン引きがあります。そのラインよりあまりにも下回る場合は発注を断るときもあります。また想像以上の高額を提示され、心のなかでガッツポーズをとるときもありました。なかには私自身が「やってみたい!」という衝動から、採算度外視で請けてしまう仕事もあります。(そんなときはあとで経理からこっぴどく怒られますが……。)
でも自分が自分の意思で請けた仕事です。請けてしまえば、それが安かろうと高かろうと関係なく自分の持てる力を注ぎ込む……それがプロの仕事だと思っていました。

スピリチュアルの場合、もちろん決して曖昧ではない明確なプロ意識を持っている方もいらっしゃいます。しかし私が知る限り、それはほんの一握り。
多くはプロ意識が曖昧なままに肩書きを名乗り「同じような人がこれくらいでやっているから」という理由で対価を決めている人が多いように感じました。もしくは技術や手法を得るために投資した分を、必死で回収することに追われている人も少なくないようです。

「お金をもらうほどの自信なんてないけれど、場所代や交通費、今まで習ってきた講座の費用を考えたら無料には出来なくて……。」

プロ意識はないけれど、だからといって無料でやる勇気もない。
自分になにがどれだけ提供できるかわからないけど、赤字にだけはしたくない。

そういった悶々とした思いを「お金に対する罪悪感」と呼ぶそうですが、先ずプロ意識を明確にすればそんな罪悪なんて消し飛んでしまうだろうに……と思います。
やりたいことを優先し、請け負ったことに責任を持って取り組めば、お金はあとからちゃんと循環するものだと考えています。

「だからって意識が高いだけじゃお給料はもらえないんですよ!そこのとこわかってますか?!海猫屋さん!!」

即行で弊社の経理より怒られそうですが(笑)しかしクライアントさんからみたとき「自信はないけど無料だと採算が合わないから」という理由でとられるお金を『対価』と呼べるのでしょうか?そんな曖昧な意識が責任を育て、循環へと導くのでしょうか?
ましてや形がないものだからこそ、心や精神が反映されるものだからこそ、提供する人の意識は高くあって欲しいのに……。

「そいつはアンタの理想論。世の中の多くはプロ意識なんざ見ちゃないぜ!そいつの肩書きとメニューに書かれたお値段を見てるんだぜ!」

ミカエル、アンタまでそんなこと言うんだ……。

私の考える「プロ意識」のあり方は間違っているのでしょうか?
でも意識もなく自信もないのに対価を請求することは私には出来ません。逆に意識があり自信もあるけれど、これには直接の対価はいらない……というものが私のなかにはありました。

それがメールマガジンです。

しかしこのメルマガが、私のプロ意識に対する考えをこっぱみじんに打ち砕くことになろうとは……。

(PART.3へ続く)

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