エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.55~娘に伝えていた言葉は僕がそう言って欲しかったこと(潤治編)

エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.55~娘に伝えていた言葉は僕がそう言って欲しかったこと(潤治編)

長年持ち続けてきた時間への「べき思考」

娘の小葉と散歩をするようになり、それまでは挨拶くらいしかしなかったようなご近所さんとも仲良くなっていきます。
子どもたち、お店の人、公的な施設の職員の皆さん、顔を知っているだけの関係の方々とも次第に仲良くなっていき、散歩を通して地域のコミュニティに飛びこんでいくような気もします。

たくさんの方々に可愛がられて育っていく娘の小葉を見ていると自分事のように嬉しくなる時があります。
それは彼女を通して、自分の何かが癒されていくからだろうと感じています。

それは僕自身がそのように育てられたかったという思いから来るかもしれません。
温かくみんなに見守られ、孤独感や寂しさを過度に味わうことなく、人と関わることを過剰に怖れることもなく、育ちたかったという思いです。

その思いを表面化出来ていれば、親や兄弟姉妹を責めることもできるかもしれませんが、知らず知らずにそれが大切なパートナーや友人とのコミュニケーションにも影響を及ぼしていることが少なくないと僕自身思います。

夫婦で仕事を共にしているので、娘の小葉を寛子の実家に預けることがあります。
小葉を歓迎してくれるお義母さんに御礼をしながら、小葉に伝えます。
「3時間後、16時には迎えに行くからね。待っていてね。」
「いや、3時間半、くらいになるかもしれない。」

小葉に時間を伝えたところであまり意味がないと思っていたのですが、自分でも無意識のうちに時間を伝えていました。

僕は時間に厳しいと思います。
「時間に遅れるべきではない。」
「約束の時間は守るべきである。」
長年、持ち続けてきた僕の「べき思考」のひとつです。
今では、他人にそれを求めることは少なくなりました。

寛子は時間に厳しくないと感じます。
それはお義母さんとのやりとりでも感じます。
「お母さん、小葉と午後に行くね。」とお義母さんに伝えて、16時を優にまわっていても、それで「決まった時間に」という感覚が寛子の実家にはないように感じます。

午後という緩い約束を交わすだけなので、僕は何時何分という約束をしたがります。

時間に縛られることのない寛子の実家の雰囲気や価値観は素晴らしいものだと感じています。
このふたりが夫婦として、仕事のパートナーとして、子育てを協力しあうのですから、そこに何が生じるか分かるでしょうか。

「小葉、後で迎えに行くからね。」と寛子が言うと、
「後でっていつよ!?」とひとりでイラッとする僕。

小葉が絡んでいる時間の取り決めに夫婦の価値観が錯綜します。
「僕はこの時間に迎えに行く。」
「何時何分頃にはこの場所にいるから。」
「○時間後にお迎えに来るからね。」
「何時に迎えに行けばいい?決めた時間に行くようにする。」
と時間指定を求める僕に何をそんなにきっちりと決めたがるのだろう?と不思議な寛子。

不思議な顔をしている寛子に余計に感情はざわめきます。
「必ず、帰ってくる時間を相手に伝える。」
これって常識でしょう?と寛子に強く言います。
あまりに興奮して取り乱す僕に寛子も困惑です。

それは僕がそうして欲しかった気持ちの 違った表現に過ぎなかった

僕がまだ幼い頃、母は化粧品の販売員をしていたので、外をまわることが多かったと記憶しています。
おぼろげな記憶の中で、託児所に預けられて去って行く母を泣きながら裸足で追いかけたことを思い出します。
母は説明しても意味が無いと思ったのでしょうが、しきりにどこに行くの?と幼い僕は尋ねていました。いつ帰ってくるの?とも。

幼稚園や保育園に行かず、週に1度体操教室に通っていました。
身近に友達を感じられる良い機会なのですが、他の子と話すこともせずに黙々と縄跳びや跳び箱をしていました。
預けられるので、母がいつ向かえに来るのかがいつも気がかりでした。
教室が終わって、子供たちが待機する場所でいつものように本を読んで待っていました。
他の子のほとんどは待つこともなく、迎えに来たお母さんに連れられて行きました。
その様子を見ているのは慣れたつもりでいましたが、さすがに迎えに来るのが遅い時がありました。
教室のスタッフも何やら電話している様子で、困っているのが分かりました。

「僕がここにいることは他の人を困らせてしまうんだ。」
そんなことをぼんやりと感じながら、手に取った本に救いを求めるように読みあさりました
しばらくするとホッとしたスタッフの顔と共に、
「潤治君、お父さんが迎えに来てくれたよ。」と僕に伝えに来てくれました。

泣きながら外に出るとトラックの窓から父が顔を出しているのが見えました。
当時、父はトラックの運転手をしていてその道すがら僕を迎えに来てくれたのでした。

父に寂しさから来る怒りをぶつけていたことを記憶しています。

いつ、誰が僕を迎えに来てくれるのか?
いつ、安心が訪れるのか?
いつ、抱きしめてくるのか?

泣きじゃくりながら、両親に抗議したい幼い頃の感情は、違う形で表出していたわけです。

寛子に「必ず、帰ってくる時間を相手に伝える!これって常識でしょう?」と。

娘の小葉に必ず時間を伝えて、そして、その時間を守るように必死だったのは、過去の僕にそうしてあげたかった気持ちの投影でした。

僕の時間への「べき思考」は僕がそうして欲しかった気持ちの違った表現に過ぎなかったのでした。

あの時の僕は、母や父に、
「必ず、帰ってくる時間を僕に伝えて。」
「いつまでに帰ってくるって約束して。」
と伝えたかったのでした。

僕が必死に守ってきた「時間」は、あの頃の僕の思いを表現したかっただけでした。
分かって欲しかっただけでした。