中村うさぎさんエッセイ 「死から生への逆さま巡礼」 PART.6 残された生

中村うさぎさんエッセイ 「死から生への逆さま巡礼」 PART.6 残された生

「自己発見」と「自己受容」の過程こそが、私にとっての「生」の意味

幸か不幸か、私は死の淵から生還し、現在もこうして生きている。自分の脚で立って歩くことも叶わぬ不自由な身体となり、薬の副作用でぶくぶくと太って醜い姿になったとはいえ、生き返ってしまった以上は生き続けなくてはならないようである。
そして以前にも述べたとおり、生き続けていくからには、残りの「生」を思う存分に味わい尽くすつもりだ。私がこの世に生まれてきたことに意味はなくとも、生きていくことには意味がある。いや、私は自分の「生」に自ら意味を与えていかなくてはならないのだ。

何故私は生きるのか、私とは何者なのか……それを常に考えながら、私は生きていく。私は己の「生」においてどのような自分と対峙し、ある時はこれと戦い、ある時は手と手を繋いで、最終的にはどんな「私」に到達するのか。この「自己発見」と「自己受容」の過程こそが、私にとっての「生」の意味ではないかと思う。私は「私」を獲得するために生きるのだ。それが、他の生き物と違って「自意識」というものを持ってしまった我々の生き方なのではないか。


(写真)中村うさぎさんブログ「うさぎ的日常日記」
2014年9月12日「美保純さんとの「5時に夢中!」生放送後、黒船アレックスの歓迎会へ!」より

 

我々の「生」の中にこそ天国と地獄は共存している

生きていくことは非常に苦しい。と、同時に、生きていく過程の中には眩しく輝く瞬間もある。地獄でありながら天国でもある……これが、我々にとっての「生」である。死んでしまえば、そこに地獄も天国もない。そのふたつは死後の世界ではなく、じつに我々の「生」の中にこそ共存しているのだ。地獄だけ味わって天国を知らずに終わる人生などない。どんな人生にも、光り輝く幸福の瞬間はあるはずなのだ。そして、それがあるからこそ、我々は地獄の中でも生きていける。

我々の「生」は、じつに「地獄」と「天国」の間を何度も何度も行き来することである。そして、それらがすべて終わった時、我々は「地獄」も「天国」もない完全なる「無」の世界に吸い込まれていくのだ。「死」とは地獄と天国からの解放である。我々はそこですべての苦しみと喜びを喪失するが、同時に、すべての苦楽の根源である「私」という自意識から永遠に解き放たれる。

これを「究極の救済」と言わずして何と言おうか? 少なくとも私はそれを「救済」と感じる。もはや、そこには「他者」もいなければ「自己」もいない。他者との関係で揺れ動き、自己肯定と自己否定の間を往還して一喜一憂する「私」が完全に消え去るのだから。

私が「私」を喪うことは恐ろしいことだろうか? そう、生きている間に「私」が喪われてしまうのは確かに怖い。私が「私」でなくなったら、私は何者でもなくなってしまうからだ。だからこそ、生きている間に精一杯、私は「私」を探求し続ける。私は「私」と出会い、戦い、和解し、理解を深め、受け容れていく。その行為が、私の人生に意味を与えていくことだと信じるからだ。

私は何故生きているのか、私とは何者なのか……その答が出た時に初めて、私は「私」を獲得する。私にとって生きる意味とは、じつに「私の獲得」に他ならず、獲得できていればこそ私はそれを死によって笑って手放すこともできるのだ。そう、その瞬間、私の「生」の苦楽はすべて報われるだろう。それは、至極幸福な結末ではないだろうか?

小説家・エッセイスト 中村うさぎ

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