エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.54~教育方針という幻と自己受容の問題(潤治編)

子育てに取り組んでいくといろいろな学びや癒しがあることに気づかされる

子育てという天からの授かりごとに取り組んでいくといろいろな学びや癒しがあることに気づかされます。予想をしていなかった恩恵をなるべく素直な心で受け取っていければいいなと思っています。

僕はしばしば、娘の小葉、そして妻である寛子との間に僕の癒されていない感情が噴出することがあり、右往左往してしまいます。
世の中のパパ・ママはこの右往左往を乗り切っているのか?と思うと畏敬の念が湧いてきます。そして、自分の父親・母親も同じ思いをしていたのだろうと思うと深い感謝を覚えます。

娘の小葉も1歳4ヶ月を過ぎ、動きも活発になり、言葉でのコミュニケーションも増えました。
聞きわけも良く、両親の思いを理解していることは生まれた時から感じていることです。
そうした日々の中、1歳を過ぎるとしつけという問題が頭をよぎります。

小葉のあまりに自由な行動に自分自身の「こうあるべき」という思考が首をもたげてきてしまいます。

それまではしつけというよりも、今は精一杯甘えて、安心感を得て欲しいという思いでアッという間に1年間が過ぎました。

何をしても叱ることなく、出来たことを認めるようにしていました。
それはできることを共に喜ぶということが自己信頼や安心感につながるからと感じるからです。

自尊心が育くまれれば、こちらの言うことをきちんと聞いてくれるだろうし、我慢せずに主張もしてくれると考えていました。

そして、今現在、彼女は要求をはっきりと伝えるようになりました。
「お願いすること」「断ること」をきちんと伝えてくれます。

僕自身を振り返ると、幼少期にいつの間にかこのふたつの意思表示に蓋をしたまま、大人になり、人生を複雑にしてしまったという思いが強いです。

甘え上手、お願い上手、断り上手な人になりたいと思う日々です。
小葉はそれを上手にやってのけるのです。

しかしながら、やはり僕の中の「こうあるべき」という思いが首をもたげてきてしまいます。

昔の教訓で「地震・雷・火事・親父」といった感覚も必要なのではないだろうか?と自分の感情を後からつじつまを合わせて扱う自分がいました。

夫婦で育ってきた環境が違いますので、しつけも違っています。
お互いに「信じられない!」という思いがありましたが、僕の価値観のほうが寛子のそれに駆逐されることが多々あります。

あまりにも正論でぐうの音も出ないことがあります。

「穏やかにやさしく言えば分かるでしょ?」
「焦らすことに意味は無いでしょ?」
「何か一番大切かを大切にして接しましょ?」
「嫌なものを今の段階で無理させることはないでしょ?」

と子育てに関しての寛子の価値観を聞くことになります。
それはその人に生き方と言っても良いし、生きてきた道程を示している言葉でもあります。

癒されていない自分の過去

寛子の幼少期はとても自由に育てられたそうです。
それは自尊心や世界に対する安心感、そして、自主性や好奇心を育んでいったようです。今の彼女を見ていればその幼少期の雰囲気は伝わってきます。
そして、彼女の実家にお邪魔するとそれはとてもよく分かります。

彼女の実家で冬に鍋を皆で囲んでいた時のこと。
寛子の弟さんが缶ビールを机にこぼしてしまいました。
結構入っていたようでとくとくと流れ出ていました。その様子を皆が慌てずに、「あら、雑巾を持ってこなくちゃいけないね。」とお義母さんがしばらくして立ち上がりました。
コタツでしたので、コタツ布団にもビールは流れ落ちていました。
ようやく雑巾をお義母さんが持ってきたかと思うと、適当に吹いてまた鍋に箸を戻したのでした。
その光景は僕にとってとてもショックでした。
こぼれたビールに慌てずにいる皆さんを見てこういう雰囲気の中で寛子は育ったのだと愕然としたのでした。

僕が育ってきた家庭なら、間違いなく詰問されたでしょう。
「なんでこぼしちゃったの?なんできちんと手に持たないの?」
という感じでしょう。

以前、同じようなシーンでこの詰問を寛子にした時に彼女が答えた言葉は、
「なんで?って?こぼれたんだから仕方ないじゃない?」
でした。

そう言われてみればそうだよな、と思うのです。
こぼそうとしてこぼしたのではないのだから、なんで?という質問は道理に合わないよなと思うのです。
「こぼれたら、拭けばいいじゃない?」
と寛子が僕に言うのですが、すぐに受け容れられない自分がいました。

穏やかに自由に、安心の場を与えられた彼女の育ってきた道程に嫉妬する自分もいるわけです。楽で楽しい世界など否定してやりたい!という僕の持つダークサイドです。

こういう育った環境が違うふたりが子育ての方針をすり合わせる場合、問題が勃発します。特に僕だけ。

小葉のいたずらにきつく叱りたい自分もいるのですが、それを内省してみると出てくるものは「癒されていない自分の過去」なのです。

穏やかに自由に、安心の場を与えられた寛子に対する嫉妬。
自分の育ってきた環境に対する劣等感や後ろめたさ、恥ずかしさ。
もっとこうして育ちたかったという悔しさ。

娘の小葉がいる今、この感情はとてもはっきりと今までとは違うレベルで湧き起こってきます。

子育ての方針を話し合うというあたかも立派な場は、単に癒されていない自分の過去を炙り出されるという場に変わります。
寛子の育ってきた環境を肯定することは、僕の育ってきた環境を否定することになるような怖さがあって素直に寛子の子育ての方針にYESと言えなかったのです。

この子にはわたしのような傷を負わせないと頑張っているママさんたちを思うとそれはとても偉業のように思うのです。そして、同じような傷を子どもに負わせてしまうママさんの気持ちもとてもわかるのです。分かっているけどきつく怒ってしまって自己嫌悪するママさんの気持ちも。

両親から引き継いでしまったものを自分の子どもには引き継がないという姿勢は、自分の過去を受け容れないまま、子育てするということになりはしないかと思うのです。

僕は子育てに向かう時、
「では、僕の育ってきた場所は何だったんだろう?子育てには全くの無意味だったのではないだろうか?」と思ってしまうことがありました。

子育てというシーンで、その問いを持ち続けていきたいと思います。
答えは見つかるのでしょうか。