スピリチュアル万華鏡No.14 実録!私の臨死体験。光の世界、その手前に広がる世界のお話し。

臨死体験で霊的能力が開花する?

スピリチュアル万華鏡No.14。今回は、私が実際に体験した、臨死体験をご紹介したいと思います。
みなさんは、臨死体験をすると、スピリチュアルな能力が目覚めると聞いた事はありますか?私は、実際に体験したことがなかったので、本当なのか?疑問でした。確かに、臨死体験した方の体験談を、テレビなどで見ると、ホントに死後の世界が広がっているのか?霊的能力が開花するのか?探究心をくすぐられるものです。しかしながら、オカルトの視点が強く、本当なのか?と確信に至るまでにはいきませんでした。私は、自らが体験しないと納得いかないタイプなので、おそらく、そのような死後の世界、狭間の世界が存在するのであろうと、軽く思う程度でした。

潜在意識の世界を勉強して行く中で、自分の意識と無意識のバランスが悪い。そう感じていました。その兆候は、朝目覚めた時に「夢を覚えていない」「夢を見ていなかった」そんな症状であります。これは意識と無意識の関係が悪い証拠です。ですから、長い年月をかけて夢を覚えているようにするトレーニングに励んできました。そんなトレーニングをし続けたからか、はたまた、何か人生の転機に差し掛かったからなのか、2012年6月のある日のこと。就寝時に、強烈な体験をすることになったのです。

私は、3秒で眠れるような体質でして、この日も、スヤスヤと眠っておりました。恐らく、真夜中の出来事であったかと思われます。寝ていると、夢なのか、現実なのか、いきなり天と地がひっくり返って、体が大地?に叩きつけられるような体験が起こりました。グルングルンと地軸が回転し、地球から放り出されるようなダイナミックなものでした。叩きつけられた体感覚は、まるで小学校の時に、マット運動をして、思いっきり背中から「バタン」と倒れる10倍程の衝撃でした。体が叩きつけられた衝撃で、息ができない感覚。「う!苦しい」と感じた次の瞬間、30秒程で、「スコン!」と体から自分が抜け出し、スッキリ軽くなったのです。無重力感覚よりも、もっと安楽で楽な感覚です。この感覚は、言葉で言い表せない、なんともいえない感覚といえます。そして、真っ暗な中に、ただ自分だけ存在している。「孤独すぎる」そんな「闇の中に、ただ一人だけ」という感覚でした。きっと、その闇の先には、光の世界が存在しているのだと思いますが、この時に、光は感じられませんでした。

意識を越えた無意識の体験がもたらしたもの

私はこのとき、「私、今、死んだのだ」そう悟りました。ただ、その後は、何事もなく朝を迎えました。「アレ?昨夜の体験は夢だったの?」疑問が募りましたが、気にも留めず、飼っているワンちゃんの散歩に出かけました。驚くのは、ここからです。ワンちゃんの散歩から帰ってくると、家族が起きてきました。「おはよう」そんな挨拶を交わすと、家族が青ざめた顔で、私の顔を見て言うのです。「ママ!何、その顔!」私は「え?どうしたの?」と、思って顔に手を当ててみると、口元から左目頭に向けて、真っすぐに血のラインができていました。まるで横たわり、口から血が流れていたかのように。その血のラインは、血が固まって「ポロポロ」と剥がれるまでに時間が経っているようでした。この時「やはり昨夜、1回死んできたのだな」そう悟りました。
「なんだかスゴイ体験をしたな」「一体どうしたんだろう」そんな事を考えながら日々が過ぎて行くと共に、自らの感覚に少しずつ変化が起こります。いきなりではないのですが、徐々に、私の感覚が冴えはじめ、亡くなった方などの思いを、感じるようになりました。友人の亡き方の思いを、自動書記するまでに感覚が冴えることもあって、感情が以前にも増して豊かになったのです。

何故、私にこのような臨死体験が起きたのか?思い当たることは、「潜在意識、見えない世界を探求したい」という、「好奇心が強かったから」ということが、言えるかもしれません。私の場合は「潜在意識に求めたから、与えられた体験」それが「臨死体験」であったと感じています。ただ、臨死体験を通じて分かったことは、一度、死後の世界を垣間みるような体験をすると、あちらの世界(見えない世界)と、より強く繋がる。このことは身を持って「そのような事が起こり得る」と証言できます。そして、この体験が現在のカウンセリングにも役に立っており、救われる方が後を絶たないのは、意識を越えた無意識の探求を、身を以て体験したからこそ、多面において導ける由縁であると感じています。