伝心の法則~ある偉大な老人の教え Part.24 思考やイメージを追い払おうとするな

伝心の法則~ある偉大な老人の教え Part.24 思考やイメージを追い払おうとするな

仏教的アドヴァイタ

質問
「思考やイメージは、悟りの心を妨げると言います。どのようにすれば思考やイメージを追い払うことができるでしょうか?」

希運禅師
「思考やイメージを生じさせることも、それを追い払おうとすることも、思考やイメージの作用だ。
思考やイメージに実体はなく、分別の心によって生まれるだけだ。
君が、意識が高いとか低いといった対立概念をなくしてしまえば、自然と思考やイメージは消え去るのだ。
今更、それをどのように追い払おうというのか。
ほんの少しでも依存したり、執着するものがあってはいけない。
それが、(一切衆生喜見菩薩の)両腕を捨てて仏になるべし、というものだ」

質問
「依存したり執着するものが全くないのなら、一体何を継承すればいいんですか?」

希運禅師
「心で心に伝えるのだ」

質問
「心から心に伝えるなら、なぜ、『心などない』とおっしゃるのですか?」

希運禅師
「法則として得るものなどない、というのが心を伝えるということだ。もしこの心のあり方に気づけば、そのまま心もなく法則もない」

質問
「心もなく法則もないなら、どうして伝えるということが成り立つんですか?」

希運禅師
「君は、心を伝えると聞いて、何か得られるものがあると勘違いしている。
だから、祖師は言われた『心の本質に気づいた時は、ただ不思議だと言えばよい。得るものなどないし、得たとしても、それを知っているとは言わないものなのだ』と。
このことを君に気づかせようとしても、とても無理だな」


(日本語訳は、「伝心法要・宛陵録」入矢義高著 筑摩書房刊 を参考にさせて頂きます)

【解説】

悟りを求めているのは、一体誰でしょうか。私たちは、地位や名声を求めるように、悟りを、素晴らしい幸せを与えてくれる何かとして求めているだけなのかもしれません。

黄檗希運は、悟りとは、アイテムのように得るものではない、それを知っていると言えるものでもない、というニュアンスを伝えようとしているのかもしれません。

良い・悪い、高い・低い、ポジティブ・ネガティブ、プラス・マイナスといった対立概念に囚われているから、思考やイメージが悪くて、それが生じないようにしなければならない、といった捉え方になるのかもしれません。
二元的に悟りを捉えるから、悟りの本質からますます遠ざかるということでしょう。

心で心に伝えるとは、エネルギーの伝授といった意味ではないのだと思います。
エネルギーの伝授になってしまうと、それは獲得されるべきアイテムになります。

黄檗希運はそういうことを言っているのではなく、ただダイレクトに、無上の教えに気づけばいいというだけなのかもしれません。
そのような認識そのものが、心と心に伝わるのかもしれません。