エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.50~いつもいつでも言葉で伝えよう(寛子編)

大人の言葉はすべてわかっている

結婚して12年目、やっと私たち夫婦の元に生まれてきてくれた娘、小葉(このは)。
高齢出産でもありずっと待ち望んでいましたから、生まれてから毎日毎日、夫婦で感謝の言葉を伝えていました。

赤ちゃんとのコミュニケーションについて、普段気をつけていることを以前シリーズで紹介しました。
エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.33~赤ちゃんのコミュニケーションで気をつけること(寛子編)
エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.34~認めることの大切さ・ベビーサイン教室にて(寛子編)
エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.35~共感とベビーサイン(寛子編)
エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.36~ダメと言わない代わりに(寛子編)

今回は、「感謝、労いの言葉を伝える」ことの大切さを、再度実感した最近の出来事を紹介します。

新生児・低月齢の頃から「赤ちゃん扱いしない」ことを意識して、大人の言葉はすべて分かっているのだと感じながらコミュニケーションを取っていました。
生後1ヶ月になったばかりの時に、お散歩をしようという約束も覚えていましたし(参考 エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.18~胎話・約束を覚えているよ(寛子編))、お産の時の体験を私が話すのを聞きたくないという態度を取ることもありました。(参考 エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.23~お産は赤ちゃんにとって辛い出来事?(寛子編)
お腹の中にいるときから、そして生まれてからも、赤ちゃんのコミュニケーション能力は、大人の想像を超えた感覚によるものなのだと、感じざるを得ません。

そんな赤ちゃんに敬意を払い、私たちの気持ちを伝え、物事を説明する生活をしていました。
しかし1歳を過ぎてそれまで心がけていた、感謝の気持ちやねぎらいの言葉をかけることを、日常でいつの間にか忘れてしまうのです。

先週末は、JMAフェスティバルで講師を務めるために、私の実家に小葉を半日預かってもらいました。次の日は小葉も特別講師として一緒にレッスンを開催。
休みなくその次の日は、ドリーン・バーチューの新しいオンラインコースの日本語吹替え収録のため、一緒にスタジオへ行きました。
いつも私たちの仕事に協力してもらっているなと思いながらも、連日の予定に意識が向いてしまい、その気持ちを伝えていなかったように思います。
夕方、スタジオ収録を済ませて帰ってくると、お昼寝の時間を十分に取れなかった小葉は、疲れから動作が雑になり乱暴になってきました。
今夜は、いつもより早く寝かしつけをしてあげなければ・・・
夕食を早めに食べさせて、その後直ぐにお風呂、そして寝室へ、と段取りについて考えを巡らせます。それが仕事に連日付き合ってもらっていて、疲れている小葉への優しさだ思ったのです。
しかし、小葉にとって本当に必要なものは、違いました。

いつも、いつでも、言葉にする

お風呂で体を洗ってあげていると、珍しく泣き叫び始めました。もう限界なんだな・・・と感じて、急いで湯上がりのお湯をかけてあげて、タオルとお着替えはパパにお願いします。

そして今度は私がゆっくりお風呂で洗顔・洗髪を・・・と思っていると、寝室の方から絶叫がきこえるのです。
そして足音が近づいてきて、お風呂のドアを「ママ~、ママ~」と言いながらドンドンと叩きます。
慌ててお風呂から上がりました。
小葉は、パジャマもおむつも着けずに裸のままパパを振り切ってやってきた状態で、半ベソです。

そこで、ハッとしました。

連日の忙しさにかまけて、大切なことを伝え忘れていた。
タオルで体を拭きながら、目の前にいる小さな人に出来る限りの感謝とねぎらいの言葉をかけました。
「今日のお仕事も、付き合ってくれてありがとうね。小葉のお陰で、いいお仕事に恵まれているよ。」
「小葉が協力してくれるから、いつも良いお仕事が出来るよ。本当にありがとうね。」
などなど思いつくままに、いつも思っているけど言葉にしていなかったことを伝えました。
そうすると、泣いていた顔がだんだん変化し、落ち着いていきました。
涙は止まり、そして今度は笑顔になっていったのです。
最後にはニコニコしながら、ご機嫌でパパにパジャマを着せてもらうために寝室へ戻っていきました。
親に認められるということは、1歳の子どもでもこんなにも影響が大きいことなのですね。

コミュニケーションで大切なことは、言葉にして伝え続けること。親子だけでなく、どんな関係性でも、一度伝えたから、こないだ言ったからではなく、いつも、いつでも伝え続ける姿勢を持ち続けたいと改めて感じる出来事でした。