『アナと雪の女王』に描かれた これからの男女の素敵な寄り添い方

“お約束”をひっくり返した先に見えてきたメッセージ

ディズニー映画とは疎遠だったオトナの男女をも夢中にさせて、社会現象となった『アナと雪の女王』の大ヒット。とにかく終盤のどんでん返しがお見事な、そのストーリーの特筆すべき点は、これまで初期の白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫から、もっとお転婆なアリエルまで、ディズニー映画を代表する歴代のプリンセスたちが踏襲してきた「素敵な王子様に見初められてパートナーに」というお約束を、ここで鮮やかに「それはもう無効!」と引っくり返してみせたこと。
そこで、これを観た大人の女性たちの感想としてよく聞かれたのが、「これって、男からの愛はもう必要じゃない、女同士の愛(友愛・親愛)があればいいってメッセージよね。ますますお一人様志向が強くなりそう」というもの。でもそれは、演出があまりに効果的だった副作用なのでしょう、注意深く見れば、この映画はそれとは真逆の、今までの時代よりもっと男女が幸せに寄り添うために役立つメッセージを含んでいると言えるのです。

実は私にとって、もう一つ強烈な印象を残すシーンは、本題に入る前の前座として見過ごされそうな、出だしにやって来ました。白夜の暗がりの中で、筋骨たくましい北欧の山男たちが、まるで悪役みたいに猛々しく、氷湖の氷を切り出し、運び出していく重厚な情景。それは、個人的には細身の男の方が好みの私でさえ「あぁ、これこそ女の肉体では叶わない部分を実行してくれる、頼もしい男性性そのもの! 男性って素晴らしい存在だなぁ」と、しびれるような感動をもたらすものだったのです。そんな彼らを見習って育った小さな少年が、やがて彼らとそっくりな力持ちの山男となって、アナと出会ったわけです。一見、優美で女慣れした王子様とは正反対の、武骨で口下手で、だけど率直で義理堅い男。すっかり王子様の甘言に舞い上がって、急性の恋の中にいたアナも、単なる「行きがかり上、助けてもらうことにした男」に過ぎなかった彼に対して、ラスト近くで明らかに〝離れがたく感じた〟一瞬があったのは「いい兆候」でした。
このパートナーチェンジが意味するのは、王子が体現する、自らの欲望を果たすために女を道具のように操ろうとする男(=権力的な男性性の象徴)ではなく、私心なく全力で女を守れる実直な男(=女性を自由に羽ばたかせてくれる、見守り手としての男性性の象徴)こそが、王女の相方としてふさわしいということ。

幸せな男女の結びつき方

ところが、アナの命を救ったのが彼でさえなかったことから「やっぱり男女の愛より女同士の愛が信用できる」という誤解を招いたわけですが、実はこれこそが〝最善の解決策〟だったのです。
というのも、これまでの時代の女性は、本来の女性性の長所である「他者と上下関係でなく横につながり、分け隔てなく連帯する」という特性を、社会の中でうまく使えていませんでした。女性にそれをできなくさせていた原因は、「男に選ばれた女」「選ばれなかった女」との間に、勝ち組・負け組という無言の境界線が引かれ、「選ばれた女に対する嫉妬の感情」というものが、分け隔てのない連帯の障害となっていたこと。つまり、あのまま山男の彼にアナが救われる形でのハッピーエンドとなっていたら、アナとエルサの間に「男に選ばれた女」「選ばれず孤独な女」という立場上の断絶が生まれていたことでしょう。

だからまず、女性同士が無償の愛で助け合い、お互いが満たされた存在になることが必要だったということ。姉妹という横のつながりの愛で互いを救い合い、自力で立てるようになった上で、女の自由を支えてくれる、真に頼りになる男をパートナーとして選ぶ。このプロセスの中にこそ、古い時代の男女の、相手を所有し合い、コントロールし合うというパターンを超えた、もっと幸せな男女の結びつき方が見て取れるのです。