エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.49~パパの安易な謝罪が責任転嫁を助長させる?(潤治編)

エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.49~パパの安易な謝罪が責任転嫁を助長させる?(潤治編)

「自己責任」という感覚

1歳を過ぎてから急に幼児らしくなり、自我の表現をするようになった娘は、さまざまな感情を表現するようになりました。
嫌だ・恥ずかしい・面倒臭い・もどかしさ・憤り・切なさ…。大人と同じような感情をそのまま表現してくれるのでとても楽しい日々です。大人のように微妙な周りとのバランス感覚を意識しないでも良いので、娘、小葉の感情表現はとても直球でわかりやすく僕自身も勉強になります。
その中であることに気づきました。
それは「自己責任」という感覚が芽生えているのだということです。もともとあるのでしょうが、それを表現するようになったと言えますね。
小葉と一緒にお風呂に入っている時のことです。シャンプーハットという道具を思い出す機会です。小葉の頭髪を洗って、流す時に優しく美容室での洗髪のようにしているのですが、誤って顔に水がかかることがあります。
そうすると小葉は、
「ちょっと、顔にかかっている!もっと丁寧にやってよ!」
という主張を込めて泣き出します。
「パパがわたしの顔にお湯をかけた!」ということですね。
慌てて「ごめんごめん」と謝っていました。
やっぱり顔に水がかかるって嫌なことだよね、シャンプーハット、やっぱり買おうかな、と思いをめぐらせます。

そして、別の日に一緒にお風呂に入っていると、小葉がシャワーで遊び出します。シャワーを片手に僕にお湯をかけてくれたり、風呂桶に入れて水のしぶきを楽しんだりします。小葉が誤って、シャワーを自分の顔にかけてしまうことがあります。その時、泣き出すのかな?と思ってみていると本人は全く泣き出しません。
驚いて目をぱちくりさせていますが、泣き出すことはありません。あれ?と思うわけです。自分でかけた時は泣かないの?と。
多少、洗髪と状況は違いますが(目にしみるという問題)、それでも歴然とした娘の違いに驚きます。

また、違う場面でのこと。
立っている僕に寄りかかろうとした時に、僕が移動してしまって小葉が転ぶということがあります。その時も、「ちょっと、パパ!わたしが寄りかかろうとしているのが分かるでしょ?」と責めるような泣き声を上げることがありました。
慌てて「ごめんごめん」と僕も謝っていました。小葉が傍にいるかどうかを気にしながら台所に立つことが増えました。
別の日に台所で料理をしていると、何かを見せたいのか小葉が早歩きで近寄ってきます。背中にその気配を感じながらいると、小葉が転ぶ音が聞こえてきます。泣き出すかな?と思っているとすぐに立ち上がり、何も無かったかのように僕のもとにやって来ます。
あれ?と思うわけです。自分で転んだときは泣かないの?と。また、その歴然とした小葉の態度の違いに驚くのです。

自分自身を内省し、自由を手に入れる

僕ができる限り丁寧に働きかけて、それでもできないこと、誤ってしまうことは娘に対して多々あります。
その時にあまり過剰に謝ることはしないようにしています。娘の自己責任能力を奪ってしまうような気がするからです。娘との間にきちんと人格の境界線を引くということとも言えるでしょうか。それを意識してから、小葉とのコミュニケーションが少し変わりました。無責任に僕も謝ることは止め、説明しながら、働きかけるようにしています。相手のエゴを増幅させないコミュニケーションということですね。
相手の「責任転嫁したいというエゴ」をきちんと自己責任という感覚に置き換えるサポートを言えるでしょうか。僕も謝るという安易な方法に逃げずに、自分のことを説明したり、相手の気持ちに寄り添ったりという時間のかかる面倒を引き受けようと思うようになりました。

責任転嫁という癖は人生を複雑にすると僕自身はとても痛烈に感じます。ハンバーガーを食べ過ぎて病気になったと企業を訴えるという冗談のような話もあるご時世で多かれ少なかれ、責任転嫁という安易な心の逃げ場所は誰の心にもあると思います。その自分自身を内省することはなく、あたかもそれが正義や権利のように語られていると感じることが僕にはあります。
安易に謝ってしまう僕自身の癖に気づかせてくれて、相手の本当の気持ちを引き出そうという視点に変換させてくれる娘の小葉なのでした。洗髪の時は「怖いけど大丈夫だよ、身体をパパにあずけてね。」というようになり、お湯が顔にかかっても、「大丈夫、目をしっかり瞑ってね。」と伝えるようになりました。転ぶ小葉にも、「パパのところに早く来たかったんだね、ありがとう。とっても嬉しいよ。」と伝えるようになりました。
相手の責任転嫁したい気持ちをきちんと自己責任としての自覚を意識してもらうコミュニケーションは、こちらも心のリスクを背負います。説明する、相手の本意を感じるまで寄り添う…といったことです。それは相手の責任能力を育てることにもなると感じます。
小葉の責任能力が増えて、自由を多く感じて欲しいと思う今日この頃なのでした。

「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を怖れる」
(ジョージ・バーナード・ショー)