エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.47~パパ、あなたはすでに愛されている!(潤治編)

嬉しい子どもの変化と変わらないパパの無力感

乳児から幼児へ。

その変化はある時やってきました。
ハイハイを忘れて、スタスタと歩き、顔つきはしっかりとしてきます。
いつの間にか背後に立ち、パパを驚かせようとする娘。
自我のようなものが見え隠れし、1対1の人間同士のコミュニケーションとなっていきます。

喃語が限りなくある程度の意味を持った言葉の羅列に聞こえ始め、とてもおしゃべりな子になるだろうと予測する日々です。
彼女の問いかけに真摯に向き合えるだろうかと不安にもなる僕です。

子が成長していくことは当たり前のことで、人生には現状維持は無いのだと目の前の可愛い娘を見ながら思います。
ぼんやりとしたふんわり仕上げの赤ちゃん顔からは卒業してしまうのだと、乳児の頃の写真を懐かしむのでした。

幼児になっても、「ママ絶対!領域」は存在し、パパ無力と感じることはしばしばあります。

胎児を優しく身籠っていたのはママですし、出産もママの力です。
おっぱいを与えるのもママです。

…と虚無感に襲われる瞬間が世のパパには少なからずあるように思います。
新米パパに出会う機会も多く、そのようなことを共有することがありました。
パパの虚無感や無力感ももっと知られても良いのではないか?と思うことがしばしばあります。

その欠乏意識のようなものを埋めるために、「育メン」という言葉が与えられ、
何かに認められるシステムがあるとしたら、本末転倒だと感じます。
最近は雑誌などで公募されることも少なくありません。

パパの存在意義を認めてくれるのは誰か?という問題です。
そこと向きあうことなく、他に場所を探してみても、遭難したいかだの上で海の水を口に含むようなものです。

以前の記事「エンジェル・セラピスト(R)夫婦のスピリチュアル子育てPART.6 ~愛されパパの欲求(潤治編)~
でもパパの無力感を語っていました。

娘の小葉が生まれて数ヶ月が経った時、近所にある母乳育児相談室に家族でお世話になりました。
その時、おっぱいマッサージをしてくださった方が、寛子の話を聴いて僕に言ってくれました。

「パパとママ、ふたりでお産をしたんだね。ふたりでこの子を生んだんだよ。」

その言葉に目頭が熱くなり、男泣きか?という事態になりました。
言葉での意思表示はまだしないけど、十分パパを愛してくれているんだと改めて思ったわけです。

子どもは、ちゃんと与えてくれている

それでも、「ママ絶対!領域」は存在し、凹むことはありました。
パパの承認欲求は満たされることなく、しまいには僕がママになるしかないような状態でした。

比較することで今受け取っている恩恵を見逃すことは人生にありがちな罠ですね。
僕はまんまとその罠にはまっていたのです。

先日、我が家でワークショップを娘の小葉と共に開催していた時のこと。
参加者の方々の前で出産や子育ての話を共有する機会がありました。
小葉はママに抱かれて、おとなしく僕たち夫婦の話を聞いていました。

話の流れでパパは無力という話題になり、ママへの甘え方とパパへの甘え方の違いに落ち込むということを僕が話していたら、
ママに抱かれていた小葉が急にママの腕から降りて、「パパぁ、パパぁ…」と抱きしめに来てくれました。

「パパのこと、大好きだよ。不安にならないでいいからね。」

と娘の小葉は言っているかのようでした。
きちんと僕の言葉を理解し、僕が求めているものを与えてくれるのでした。
ワークショップ中でしたが、涙腺が緩み、再び男泣きか?という事態に襲われましたが、
事なきを得て、その時の涙は夜、眠りにつく前に思い出して流すことになりました。

その次の日から、娘の小葉は「パパぁ、パパぁ…」と呼ぶ機会があきらかに増えました。
身体を寄せてくることも増え、ママに甘えるのと同じように僕に甘えてくれるのです。

「パパはこういう愛し方だと安心するんでしょ?わたしの愛情表現、届いている?」

と小葉は伝えているようでした。

それまでも娘の小葉は十分に愛してくれていたわけで、
僕は僕が感じている愛情表現のリクエストをしていなかっただけでした。
娘に僕の気持ちをきちんと伝えていないだけでした。

赤ちゃんの持つ「親を愛そうとする力」を引き出すためには、
僕たち大人が恥ずかしがったり、躊躇したりすることなく、
「このように愛して欲しい」とリクエストすることが大切なのだとあらためて想うのでした。