なぜ、日々の生活に瞑想が必要なのか?

プラス思考ができれば幸せ?

あなたはどれぐらいの時間を自分と向き合っていますか?
スピリチュアルという言葉も定着していますが、「瞑想」に興味を持つ人が増えてきたのは、心のあり方が人生を決定づけるということに、気づき始めているからかも知れません。
成功者の人たちは日々の生活に運動、学び、瞑想を日課にしている人が多いことは知られています。
しかし、安易に「プラス思考で生きる」ことで、成功できるかと言えば、人生はそれほど簡単ではないでしょう。

もちろん、嫌な出来事が起きたときに、どのような心持で過ごすかは、その人がプラス思考か、マイナス思考かによって悩みを解消するのにどれぐらいの時間が掛かるどうかは異なることでしょう。
けれど、人間の心はそんなに簡単に理論や理性や理屈ではコントロール出来ないものです。

生まれ育ってから、虐めや両親などの問題、大人になっても人間関係で苦労続きの人が、急激にプラス思考になろうと思った途端になれるようであれば、誰も苦労はしないでしょう。
今、苦労しているしている人に、「プラス思考」になれば、その苦労が無くなるかとなると、そう簡単ではないでしょう。

「プラス思考になれば、生きるのが楽になる」という叱咤激励は、実のところ、幸福への遠回りなのです。
それは、どんな状況であってもプラス思考でいられるほど人間の心は鋼鉄に出来ていません
誰かが目の前で死を直前にしているのに、ヘラヘラと笑える人は自分の大事な人を失ったことがない為に、どのような態度に出ていいのか判らない人でしょう。
不安や恐れも含めて心のありのままを見つめることこそが、楽に生きるための大切なポイントなのです。

それぞれの人生にそれぞれの時がある

すべてのことには時があります。人生は人と比較するものでもありませんし、人生を焦る必要もありません。人生は多くの人が期待するように、上手く予定通りに行くことはない方が多いでしょう。
そのため、しばしば訪れる出来事を受け入れ、その問題を解決するために努力するか、時が解決してくれる出来事であれば、忍耐強く様子を見ることも必要なときもあるでしょう。
人生は予想外の出来事が起こる連続です。
その意味で瞑想は、人生の蟻地獄にふいに足をすくわれることないように、普段から健康を目的にエクササイズをするのに似ています。
瞑想によって人生が急激に変わるということはありませんが、瞑想を続けていると、嫌な出来事やややこしい人生の問題に対して動じることが少なくなります。

私は、人生とはマラソンだと思っています。
マラソンのゴールは、どんなときも穏かで寛いだ気持ちで最後の時期を迎えることが出来れば、来世ではもっと霊格を上げて、この世に帰って来ることが出来るでしょう。
自分の出来事を受け入れることで、ただ消極的になったり、諦めたりすることはありません。「受け入れること」の奥深さを考えてくれるのが、仏教の「他力」の教えです。

他力本願という言葉があります。
「自分では何もせずただ誰かがやってくれるのを待つ」というように悪い意味で使われていますが、本来の「他力本願」とは、思い通りにならない出来事があっても、泣き叫んだりじたばたするのはやめなさい。阿弥陀如来は、すべての人を救うという大いなる願い(本願)を持っておられます。だから、その本願を信じて、安心して身を委ねなさい……という意味なのです。

他力でも自力でも、あなたがあなたの「あるがまま」を見つめ直すことで、エゴという苦しみの原因から自由になることが出来たとき、あなたは幸福へと近づいていけることでしょう。
エゴはギリシャ語の「I」「私」という意味です。
自分という「我」を表に出しすぎて、エゴの目的意識を追いかけすぎると心の葛藤が増えて行きます。
人生も自分が一番になろうとすればするほど、永遠に勝者でいなければならないと思えば思うほど、守る物が増えて行くことでしょう。
ある程度の経験を重ねていれば、競争し続けることは無意味だと分かる時期が来ることでしょう。
自分なりの幸福な人生を送れる人こそが、本当の幸せな人でしょう。
瞑想を継続して、不安や恐怖を取り除き、偉大な宇宙からエネルギーを受け取ることができるような体質になって下さい。

ありがとうございます。