ホリスティックケア・プアマナの宇宙の法則・身体の法則 PART.44~善行はポイント制ではない

善行を積めば
それが自分に返ってくる?

横浜で女性のライフステージに合わせ、エネルギーワークとボディーワークの組み合わせたクリアリング鍼灸・マッサージの施術をさせて頂いているホリスティックケア・プアマナ(puamana)です

先日、「悟りに近づくための行動はポイント制ではない」という話で、いろいろな患者さんと盛り上がりました。

私たちは、普段、善行を1つ積めば、あるいは感謝の心を持てば、天国への扉に一歩近づくとか、自己成長に資することができるという風に考えてはいないでしょうか?

善行を積むこと自体は尊いことですし、感謝の心を常に持ち続けることも重要です。
しかし、例えばトイレ掃除をすると商売が繁盛する。けれども「これで商売が繁盛するぞ!」と思いながらトイレを掃除すると意味がない、という話をお聞きになったことはないですか? これは「下心を持つな」という教えなのでしょうか?

ところが、どうやらそう単純な話でもなさそうなのです。

よしもとばななさんの「花のベッドで昼寝して」には、不思議な能力を持つおじいさんがこんな風に話す場面があります。

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「大事なのは違うことをしないことだ。
毎日のほとんどのことは、まるで意地の悪いひっかけ問題みたいに違うことへと誘っている。でも、違うことをしなければ、ただ単に違わないことが返ってくるだけなんだ。そうしていれば、私にできることはだれにでもできる。
それぞれに誘われやすい『違うこと』は違う。誘われやすさはその人の長所のすぐとなりにあるから、だれもが毎日十円、百円と借金をするように『違うこと』をしている」

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「違うこと」というのが鍵なのです。よしもとばななさんの言い回しは独特なのですが、ここでは「本来の意味から離れたこと」と考えてよさそうです。

上記の例で言えば「下心」を抱きながら行動すること、と解釈できそうです。ところが、おじいさんは「誘われやすさはその人の長所のすぐとなりにある」と言っています。トイレ掃除を励行する心を長所、下心を誘われやすさとすればこれも意味は通るのですが、そういうことでもなさそうです。

そもそもポイント制の話になったのは、実は「気」の話が元でした。
「拭き掃除をすると場のエネルギーが変わる」という話題から、ホコリが溜まったことに「気」付いて拭き掃除をすると、忘れられていた場所に新しく「気」を入れることになるから場のエネルギーが変化します。これが吹き掃除をすると清々しく感じることの正体です。

そこから「だから気が利くお母さんのお子さんは、(お母さんのエネルギーを頻回に受けて)窮屈な振る舞いになってしまうことがあるのですね」「それで、気を使ってもらっているのに疲労を感じることがあるのですね」という感想を頂きました。

気が利くこと自体は美徳です。ところが、そこにこうするべきである、という「我」が存在すると相手は大変窮屈に感じます。気を利かせる人が無私であり、相手が気持ちよく過ごすことができることだけを目的にしていれば、相手が気遣いを受けていながら疲労を感じるようなことはないでしょう。

おそらく「気が利くこと」が長所、本来の相手が気持ちよく過ごすことができるようにということよりも、良かれと思ってというような「我」が入ることが「違うこと」なのではないでしょうか。

私たちは、もしかすると善行だと信じて独りよがりなことをしているのかもしれません。

『地獄への道は善意で舗装されている』という言葉も同じことを指しているようです。自分が考えている「良かれ、善かれ」が本当に相手にとっても最善なのか。そこを考えてみることができれば、せっかくの好意が相手を疲労させることもないのかもしれません。