ティク・ナット・ハン師 in フランス~笑顔満載、食べる瞑想♡

■前回の記事
ティク・ナット・ハン師の禅生活1週間~ライター&編集長の珍道中「いまが瞑想のとき」

<以下、()の青色の部分は編集長遠藤のコメントです>

マインドフルに食事を頂く

心を静めるのに数日かかってしまったプラム・ヴィレッジでのリトリートではあったけれど、到着した晩から楽しんだのが、”食べる瞑想“だった。平たく言えば、食事の時間。シスター達がつくる、心のこもったベジタリアン料理は実に美味しく、食いしん坊の私にとって、こんな嬉しいことはなかった。セルフサービスだったので、毎食、てんこ盛りで頂いた。野菜たっぷりの、ベトナム料理であろうおかずが多いなか、時に、日本人のシスターチャイがつくった味噌汁や、韓国人シスターからレシピを伝授されたというキムチが出てきてビックリしたことも。

(遠藤談:シスターチャイは、食事作りはもちろん、日本語通訳と本当に要となる人です。彼女が居てくれたことは、プラム・ヴィレッジでの思い出に強力なサポートをくれました。シスターチャイ様、出発時、最寄りの鉄道駅まで送って下さってありがとうございました。列車が来るまでお茶をさせて頂いたとき、なぜか号泣してしまいましたが、説法というのは日常にもあるなぁと感じたのです)

ただ、瞑想としての食事というスタイルには、最初、ちょっと違和感があった。
他の参加者と目を合わせてもいけないという他の瞑想のリトリートもあるが、プラム・ヴィレッジには、そこまでの厳しい決まりはなく、声をひそめた会話はOK。周りの人に、にっこりと会釈をして食べ始める。おしゃべりは慎み、マインドフルに食べることに心を向ける。耳に入るのは、カチャカチャと食器がぶつかる音と、咀嚼する音だけ。「口のなかに入れた食べ物が液状になって、自然になくなるまで噛むように」と教わった。

3人の娘を産んでからの数年間は、座ってゆっくり食べた記憶さえない。それ以来、もともとの早食いが更に加速して、ほんの数回しか噛まずに飲む込む癖がついていた事に気づかされた。試しに、お向かいに座ったシスターが、何回、咀嚼しているのか、こっそり数えてみたら、40回ちょっと。私も、精一杯、たくさん噛む努力をしていたら、まだ半分くらいしか食べていないのに、周りの人たちがどんどん席を立っていく。焦る……。

「皆、どうやって、しっかり噛みながら、そんなに早く食べられるのだろう……」とか、「噛む音って、結構大きいのだな……」とか、頭のなかは雑念だらけ。それに、私の事など誰も見ていないのに、人の目を意識してしまって、なんとなくぎこちない。そんなこんなで、なかなかマインドフルの実践に至らない。

(遠藤談:食べる瞑想で私が一番気に入ったのは、というか、本当に大好きになったのは、頂く前ににっこりと微笑むこと。敦子さんとも何度も微笑みましたよね。隣の人に。前の人に。そして、目の前のお皿のなかの食事に。本当に美しい習慣です。もぐもぐもぐもぐ食べると、私の命になってくれる野菜や穀物たちもその命を全うしているような気さえします。何を食べるかも大事だけれど、どう食べるかも大事と実感!)

リトリート半ばの、タイの法話日には、彼を囲んで、シスターとブラザー達、それに参加者全員が一緒に昼食を取った。各自が、自分のお椀を持って会場に入るのだが、何百人という数なので、全員が着席するのを待つだけでも長い時間がかかる。タイの祈りの言葉の後、両手を合わせ、一斉に食べ始めた。

さすがに、通常のヴィレッジでの食事時とは異なり、良い意味での緊張感が漂っていた。静寂のなか、一口、一口、味わいながら、この食べ物が関わったであろう人たちに思いを馳せてみる。野菜を育てた農家の人、収穫した人、運搬した人、販売した人、エトセトラ、エトセトラ。そして、大地の恵み。土と水と光無しには、何一つ、私の口に入る事は無かった。有難い。なんと言う幸せ。感謝の念が湧き上がってきて、ウルウルしてしまった。家族や友人との会話を楽しみながら食事をするのも良いけれど、たまには、家庭でも、こんな機会を持つのもありかな……と、思った私でありました。

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