一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.38 『チョコレートドーナツ』

実話をもとにした切ないお話
ゲイのカップルとダウン症の少年

チョコレートドーナツが好きなダウン症の少年、マルコ。彼の母親は麻薬中毒で息子の面倒など見ることもなく、今日も男と出かけたまま戻らない。部屋にほっとかれたままの彼に気づいたのは、隣室に住むショーダンサーのルディ。女装してショーダンサーとして働くゲイのルディは、最近弁護士のポールと付き合いだしたところだ。マルコをなぜかほっとけなくて、ポールの計らいで母親からマルコを預かることに成功し、ルディはポールとマルコの三人で本当の家族のように愛に満ちた1年を過ごす。しかし、1979年当時、ゲイに対する偏見は並大抵のものではなく、ゲイであることが周りに知られ彼らは引き離されてしまう……。

切ないお話だ。ラストは泣いてしまう。
ゲイのカップルが母親に育児放棄された子供を預かって育てちゃダメなんだよ!と、この映画に登場する裁判官や検事や家庭局の偏見に満ちた大人たちはルディたちを許さない。それは、ものすごい強固で高い壁で、どんな手を使ってもその壁は突き崩すことができない。

「いったい何の審理だ!ただ母親に捨てられた子供を僕たちは助けたいだけなんだ!」と欺瞞に満ちた裁判にぶち切れたポールが叫ぶくだりが胸を打つ。そんな単純なことも法と差別と偏見の前には手も足もでないのだ。たったひとりのかわいそうな子を助けることもできない。

社会を変えるにはたくさんの
犠牲と涙が必要なのだと教えてくれる

でも、こんなことはたっくさんあるのだ。
も社会の片隅に見捨てられた子達はいっぱいいて、誰からも助けられずにひっそりと命を落としたりしているのだ。

育てられる人が、育てたい人が親のいない子供を育てる。それが簡単に単純にできたらいいなと思う。でも、そうなるまでにはマルコのような子供がたくさん犠牲になり、ルディやポールのようなカップルが何組も涙を飲まなければならない。社会はなかなか動かないものだ。たくさんの犠牲と涙が必要だ。しかし、79年より現代は確実に良くなっている。

この映画は声を上げること、闘うことの大切さ、そして擬似家族の可能性、正義の不確かさを教えてくれる。でも、その前に、ああ、どうにもならない切なさで胸がいっぱいになる、あとを引く映画である。