心理セラピストが考える!『当たり前』とは~当たり前って本当に当たり前なの?

心理セラピストが考える!『当たり前』とは~当たり前って本当に当たり前なの?

「当たり前」の概念を外してみよう!

「当たり前」を意識する事って実は大事なのです。当たり前とは、誰が考えてもほぼ同じ結論に達する、そうあるべきと言うような意味合いがあると思います。当然、という表現もします。つまり自然に、そのように思ってしまう現象ですよね。

この「当たり前」ですが、一見するととても良い事のように思えます。たとえばこんな感じです。

・早寝早起きは健康に良い。
・赤信号は渡ってはいけない。
・ジャンクフードは体に良くない。

これらは教育によって習慣化された人為的な「当たり前」と言えるかもしれません。確かにこれらの概念が「当たり前」になれば日常生活は健康的かつ円滑になると思います。

では、必ずしも「当たり前」が良い事ばかりなのでしょうか。次の例を見てみましょう。

・病気は病院が治してくれる。
・就職したらプライベートが無くなっても不満を言ってはいけない。
・FACEBOOKのトピックにはとにかく「おはようございます」とコメントする。
(※『あいさつおじさん』

これらは、どちらかといえば自然発生的な、文化的な側面が強い「当たり前」です。特にこれらの例にフォーカスして欲しいのですが、この記事を読んでいてもしかしたら「え?これって当たり前なの?違くない?」と思った人もいると思います。実はそこが重要なのです。
「当たり前」って必ずしも「当たり前」ではないのです。ただ、無意識にそのように認識してしまっているだけで、必ずしもそれが正しいとも限らないのです。もしかしたら誰かによって「当たり前」と思い込まされている可能性すらあるのです。

たとえば…

・病気は病院が治してくれる
⇒本当は病気は病院やお医者さんが治してくれるのではなく自分自身が治すのです。医療行為(手術や投薬など)が出来るから患者さんの心身を上手にコントロールして病気を治してくれると思いがちですが、それは違います。彼らは厳密には患者さんの病気が治るように「手伝って」くれているにすぎないのです。最終的には本人の自己治癒力が治療行為と協力し合って病気を治すのです。モンスターペイシェントなどは、その辺をきちんと理解していない人が暴徒化したというパターンも少なくないと思います。

 

・就職したらプライベートが無くなっても不満を言ってはいけない。
⇒「社会人たるもの……」みたいなイメージや古き風習が今でも残っています。しかし雇用契約と言うのは労働についての契約をしただけであり、個人のQOL(生活の質)や魂までも売り渡したわけではないのです。たとえば家族イベントや恋人や友人との約束を「ごめん!急な仕事でダメになった!」とばかり言っていたらどうなるでしょう。はじめのうちは「余程の緊急事態なのだろう」と前向きに思ってくれても、普通に考えて余程の緊急事態がそんなに頻繁に起る筈がありません。

仮に余程の緊急事態が度々あるのに改善しないのであれば、それこそ賢さを疑われます。繰り返してばかりいると「当たり前のように自分と言う存在は優先順位が低く思われていたなんて心外だよ!それじゃ、あなたが信頼されなくてそれこそ当たり前だよね!」と思われてしまう危険性すらあるのです。

 

・FACEBOOKのトピックにはとにかく「おはようございます」とコメントする。
⇒『あいさつおじさん』も徐々に「迷惑行為だ」という認識も広がって入ると思うのですが、現実問題としてはこれからもゼロになることは恐らくないと思います。それはそうと、彼らの殆どは「あいさつすることは悪い事ではない」という前提としての「当たり前」に余計なプラスアルファがついて「一方的なあいさつでもOK」「コピペあいさつもOK」「相手の話を聞かなくてもあいさつすればOK」という新たな「当たり前」に進化(?)してしまってる可能性があります。

「当たり前」を冷静に考えて見ると、ものすごく種類が多い事が見えて来ると思い舞う。というのは自然発生的なモノ、文化的なモノ、教育的なモノ、単なる思い込みなモノ、誰かに当たり前と思わされた洗脳的なモノ……。

「当たり前」と思っている事、時々振り返って見るのも良いかもしれません。