震災から3年。繋がる海から福島に心を寄せて。

海

地震、津波、原発問題。
思い出の土地に残された傷跡

震災から3年、3月11日、午後2時46分。海に向かい黙祷しました。
色々な思いが駆け巡り、言葉では表現できない苦しさで心がいっぱいになりました。

実は私、福島にはとても深い思い出があります。この仕事を始める若かった頃、毎夏長期休暇をとっては福島の海、端から端までサーフトリップに行ったものです。

現在立ち入りの出来ない、双葉町、楢葉町、大熊町、富岡町、人が優しく温かい素晴らしい自然の溢れる町でした。素敵な宿泊施設もたくさんありました。今ではどこも閉館しています。

震災後の町の様子をテレビで見る度、この道はあそこに抜ける道、あのお店はあの時立ち寄って食事をしたお店だなどと記憶が蘇り、心が締め付けられるように痛くなります。

当時、まだ福島の海はサーフポイントとしてメジャーになっておらず、波はあるけど人のいない海を、ここはサーフィンが出来るポイントなのだろうかと不安に見つめていると、ふとローカルサーファーさんだったり、畑仕事中のおじいちゃん、おばあちゃんだったりが、声をかけてくれて色々と教えてくれたものでした。
サーファー
そのおかげでたくさん素敵な場所で海に入れましたし、人の心というものに癒された楽しい旅が出来たことをとても強く記憶しています。と同時に、アルバムに残された震災前の福島での写真。もうあの場所に足を踏み入れることはないのかもしれないと思うと、とてもとても悔しく、悲しいです。

また私の父の本家が岩手で親戚がたくさんいますし、幼い頃から何度も足を運んでいました。気仙沼にも知り合いが、仙台にも友達が住んでいます。
だから、本当にあの地震は、津波は人ごとではなかったのです。。。

津波だけなら、復興はもっと早く進んだろうに……その復興を送らせているのは、やはり原発問題。現在も人が近づけない高濃度の汚染水が溜まってる原発の建屋。終わりの見えない汚染水。除染した土などの黒い袋は増える一方。。。

いつの日か大好きだった福島や福島の人たちに
ハワイアンデトックスを届けたい

原発事故が起きても、人が完全にそれをコントロールできるならいい、人の心を傷つけることも、そこに住む人たちの大切なものを奪うこともなく、健康被害も心配する必要もなく今までどおりの生活が送れるならいいけど、現実はそうではない。何一つ出来てないわけで、出来ないなら作ってはならないと、再稼働させてはならないと思うのは間違っているのでしょうか?

なぜ震災を教訓に他のエネルギーに切り替えるということをしないのか不思議です。それをやってこそ日本の強さ、技術がアピールでき、世界から信用され、さらに日本は先進国になっていくと思うのですが……。

住み慣れた大好きな町を離れて暮らさなくてはならない人達の心の痛み、、、それを感じてほしいのです。人ごとではなくてその人たちの立場にたって物を考えてほしいのです。

小泉進次郎議員が、「復興は進んでいない」と怒りをあらわにしました。
何度も足を運び、自分の目で見て、心を寄せてきたからこそなんだと思うのです。そんな政治家が増えることを願います。そうでないと本当の意味での復興には繋がらないと思います。今、苦しい人たちが、笑顔で暮らせる日が来てこそ、本当の意味で復興したことになるのだと思うのです。

大好きだった福島の町に、もう一度、訪れる日が来ることが私の夢です。あの場所に、人が行き交い、笑顔が戻り、人が住めるようになることを願わずにはいられません。

私がハワイアンデトックスの認定ナビゲーターを目指した理由の1つに、福島への思いがあるのです。いつの日か、今の子供たちの解毒が必要になるかもしれない。

オーガニックのものしか使わないし、子供でも出来る安心でマイルドなデトックス。

それがハワイアンデトックスだったから、学ぶこともハワイに行く決心もついたのです。いつの日か大好きだった福島に、優しかった福島の人たちの、少しでも役にたてればと思っています。

これから先、それがどう関わるようになるかはわかりません。でも私は私なりの方法で津波の被災地に福島の人に心を寄せて生きていきたいです。また、宮城、岩手、茨城、千葉、多くの被災地の1日も早い復興を心より願っております。
海の家