荘子に学ぶ『胡蝶の夢』とは?~夢の中の私は一体?~

本当の自分の姿は人間か、果たして蝶か?

むかしむかし中国に荘子という人がいました。道教の始祖の1人と呼ばれていて、おそらく一度は学校で習う歴史上の有名人です。
この荘子ですが実に面白い話を残しています。もしかしたら何処かで聞いた事があるかもしれません。今からそのお話をします。

夢の話です。
荘周(荘子の事です)は何故か蝶の姿をしていました。とても楽しく蝶として空を舞っていました。夢の中では自分が荘周であることは完全に忘れていました。しばらく蝶として存在していたのですが、ふと目が覚めると自分は荘周でした。夢の中では完全に意識は蝶として存在していましたが、目覚めて見ると自分は蝶ではなく荘周という名の人間なのです。よくよく考えて見ると、本当は自分は蝶で人間としての荘周は夢の中の自分なのだろうか。それとも人間である荘周がホンモノで蝶であった自分はやっぱり夢だったのか……。
でも、どっちも自分であることには変わりありませんよね。

と、まぁこんなお話です。人間的な発想をすれば本当の自分は人間であって、蝶は夢の中のキャラクター。
言わばヴァーチャルな存在だと思うと思います。

この話の面白い所は、夢の中の蝶である時は自分が人間であることを完全に意識の外に追いやってしまっているという点です。あなたもそうだと思うのですが夢の中で「これは夢だ!」と自覚する事ってあまりないのではないでしょうか。

つまり、どちらが現実世界かと言う問題は別問題としても、意識は自分が認識している世界をリアルとして捉えているのです。

夢を見ない人も多いと思いますが、実はそれは何らかの理由で忘れているだけで実は夢は基本的に見ているはずだと言う説もあります。

よくよく考えると不思議ですよね。夢の中でも姿形、そして存在している世界は異なっていたとしても意識は確かに存在しているのですよね。

 

潜在意識と夢の意味

スピリチュアルっぽくたとえるなら自分自身に前世があると仮定しても、余程特殊な状況下に無い限り基本的に前世を今この瞬間に思い出したり意識しながら生活する事はありません。前世の有無をここで議論する気は無いのですがイメージとして解釈して下さい。

では夢の中、もしくは前世の自分が確かに存在すると仮定したら、現時点で現代人として生活をしている自分の存在はどう解釈すれば良いのかという疑問が浮かび上がってくると思います。

夢の中の自分が気になる方や、前世の自分が気になって仕方のない方がいます。もちろん本人が大事だと思う事は大事だと思います。ただし、そちらに引っ張られ過ぎないように注意して下さい。

もちろん、潜在意識や魂の世界には何らかの意味があるとは思います。
しかし、この記事を読んでいるあなたを基本軸として生活しないと、ややこしくて混乱してしまいます。気になる方は、それらに関して決して一人で抱え込まないことが大切です。潜在意識のメッセージがあなたに何かを訴えかけている可能性はありますが、独りで抱え込んだり考えすぎて混乱したら本末転倒です。そういう時は、怖がらずにぜひカウンセラーやセラピストを利用してみて下さい。

それはそうと、脳が何らかの理由で夢を見せているのは事実ですが、では僕たちは、その夢とどうやって付き合って行くのがベストなのでしょうか。先ほどの話、つまり夢と言う世界をどう解釈すればいいのかと言う問題とも関係あるのですが、ここでまたエピソードをお話します。

あるアフリカの部族は子供たちにこんなふうに夢の教育をしているそうです。
「たとえそれが夢であったとしても必ずハッピーエンドにしてから目覚めなさい」と。夢の中の自分も自分。精神体であっても自分。だから、夢であろうと現実であろうと幸せに向かって生きる。僕たちも、そんなふうに夢、そして現実と向かい合って行けたら。そう思います。