スピリチュアル・ライター&ヒーラー並木由紀の最新スピリチュアル・レポート~ソーシャルゲームへの依存から抜け出すための一歩 PART.3

スピリチュアル・ライター&ヒーラー並木由紀の最新スピリチュアル・レポート~ソーシャルゲームへの依存から抜け出すための一歩 PART.3

★前回の大人気記事はこちら
ソーシャルゲームへの依存から抜け出すための一歩 PART.1
ソーシャルゲームへの依存から抜け出すための一歩 PART.2

なぜ抜け出せなくなるのか?
日本人の“絆”意識がネガティブに作用する

暇つぶしで始めただけなら、どうして適当なところで切り上げることができないのでしょうか?
これには、日本人特有の“絆”や“和”の意識が、悪い方向に作用してしまっているのではないかと考えられます。

ソーシャルゲームが、“ソーシャル”と呼ばれる由縁は、人とのコミュニケーションがゲームシステムに組み込まれているためです。ソーシャルゲームの多くは、フレンドと交流し、ギルドに入ってみんなで協力しながら戦っていきます。

このように他者の目があるために、
■課金で強くなって無双する(俺TUEEEEEEする)
意味も出てくるわけですが、同時に人と同じであることや人との“和”を重んじる傾向の性格を持つ場合、
■他の人と同じような装備でないとみんなに迷惑をかける
■ギルドのために尽力しないでサボっていたら悪い
という意識が生まれてしまうのではないでしょうか?

子どもが親のクレジットカードで黙って課金してしまう問題も多発していますが、これは
■みんなと同じことをしてないといじめられる
という日本特有の問題をもはらんでいるのではないかとも考えられます。

ソーシャルゲームが流行するより前、パソコンを使用したオンラインゲームに熱中し、廃人と呼ばれる人たちが話題になりました。最近は、ソーシャルゲームと同じようにアイテム課金で強くなることができるオンラインゲームも増えましたが、当時は基本月額課金。強くなるためには、時間と手間をかけてアイテムを集めなければなりません。それもパーティープレイが必須のゲームが多かったのです。

芦崎治氏による『ネトゲ廃人』(新潮文庫、2012年4月)の中の、「私が眠るとみんな死んじゃう」という廃人の言葉が印象的でした。このプレイヤーは、パーティーの中の回復役。まるで、リアルな仕事かのような責任感と重圧感を背負い、多くの時間を割いてプレイしていることがわかる言葉です。

災害が起きたときのマナーの良さや一致団結する姿勢は日本人の美徳でもあります。しかし、日本人特有の“絆”意識が悪い方向に作用すると、その共同体の中でみんなと同じでなければならない、尽力しなければ村八分にされるのではないかという恐れに繋がりかねません。

リアルとネットの境界線が曖昧になってくると、ソーシャルゲームの世界が現実の自分の属する共同体と同じだと感じてしまうような錯覚を起こすこともあるのではないでしょうか。すると、
「私が抜けるとみんなに迷惑をかけるかもしれない」という意識となり、なかなかゲームから抜け出せなくなる一因にもなってしまうでしょう。また、リアルな共同体とかぶっている(学校の仲間でゲームをしている)場合には、さらに抜け出しにくくなるのではないでしょうか。

~つづく~

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ソーシャルゲームへの依存から抜け出すための一歩