みなみの桜と菜の花まつり真っ最中の南伊豆から~「母なる海」は、自分育てと子育ての海

みなみの桜と菜の花まつり真っ最中の南伊豆から~「母なる海」は、自分育てと子育ての海

「母なる海」は、大人にも子供にも平等に、
生きる上で必要なものを与えてくれる

この南伊豆は島国のような雰囲気の場所です。山と海とに囲まれて、壮大で美しい場所です。私にとって海は「母なる海」です。命の源であり、生きる上で必要なものを与えてくれる恵みの宝庫です。そして叱ってくれる存在であり、自然の厳しさを学ばせてくれる存在でもあります。

海は大人にも子供にも平等です。海に行けば同じ時間を共に楽しみ、笑い合えるのです。私の周りの人たちは、みんな遊び上手な大人たちです。子供たちと一緒になって遊ぶ事が普通です。共通して言えることは、自然の素晴らしさを子供に伝えたい、自然から学ぶことがたくさんあると思っているパパ、ママが多いことです。

海は、遊びを通じて、
子供たちに「何もない贅沢」を学ばせてくれる

子供たちは裸足で砂浜を駆け回り、海の生き物を見て、砂の感触を楽しみ、何もない砂浜で考えながら遊びを作り出していくわけです。その発想の豊かさは毎回驚かせてくれます。そういった時間は、大人にも子供にもとても大切な時間で、「何もない贅沢」というものがこの場所にはあるように思います。大人が伝えようとしなくても子供たちは遊びからそれを学んでしまうのですね。

砂浜で遊ぶ子供たち

どんな海が危ないとか、この魚は美味しいとか、これは食べられない貝だとか、これは危険な海の生き物、これは可愛い動きをする生き物とか、教えなくても実際に見て、疑問に思ったことは自分で図鑑などで調べて、覚えていくのですね。これが本来、子供が持つ才能なのだと思います。そんな時の子供たちの目は本当にキラキラしていて綺麗です。多くの子供たちにこんな経験をさせてあげたいなぁと思う瞬間です。

海の生き物

海は、「私が私らしくいるため」にも必要な場所

私自身も大自然、特に海に身を置く事で、自分を見つめ直すことが出来ます。
「私が私らしくいるため」に私はこだわるのですが、そのためには海が必要なのです。

人は様々な試練にぶつかりながら生きています。乗り越えることで、魂が磨かれ、成長しながら、人は死ぬまで学び続けるものだと思っています。もし試練をクリアできずにこの世を去ったとしたら、来世、同じ試練がもう一度与えられるのではないかと思うのです。だから、来世の私が今の私より幸せであって欲しいと願うので、与えられた試練を少しずつでもクリアにして前に進みたいなと心がけながら毎日を過ごしています。

そうは思っても、時々訪れる辛い試練から逃げ出したくなることがあります。私はそんな時には真冬でも海に飛び込むのです。波のしぶきが弾ける音、静寂でクリアな海の中。泣きたい時には思いっきり海の中で泣いたりもします。すると、どうでしょう。頭がスーッと落ちついて心が満たされていきます。私は大丈夫。私は守られている。不思議と不安な気持ちがプラス思考へと変わっていくのです。すると自然からもらったエネルギーが奮起する力へと変化し始めます。私の場合は海に入ることで鈍った直感が整えられ、同時に「本来の私」を取り戻し始めるのです。そして、
「私は試されている。ならば乗り越えてやろうじゃないの!楽しんでみよう!」
そんなふうに思えるようになるのですから面白いものです。

子育てはあっと言う間。自分育てのため
時には大自然の中に身を委ねてみる

一瞬一瞬が最初で最後の時間で、子育ての時はあっと言う間に過ぎてゆき、自分育てには何とも言えない歯痒さがありなかなかうまくはゆかないけれど、海に助けられながら、「らしさ」を失わずに毎日を過ごせたら、それが私にとって幸せになるのかなと思っています。

みなさんも、時々、大自然の中に身を委ねてみてください。頭でなく、身体で物事を考えてみると、新しい自分を発見できたりするかもしれませんよ^^

満開の桜と菜の花

そんな南伊豆はみなみの桜と菜の花まつり真っ最中です^^