高校物理の世界で見る――私たちは物質を超えた「空」であること

高校物理の世界で見る――私たちは物質を超えた「空」であること

私たちの本質は「実体」を超えた「空」にある

近年の科学の発見は、物理世界とスピリチュアリティーとの境界を消し去っていくようです。
量子力学の観察者効果をはじめ、ダークマター(暗黒物質)や、神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子、等々――。

でもそんな最先端でなく、高校物理くらいの知識でも、私たちの本質というのは「単なる物質を超越した何かなのでは?」ということを思い起こさせてくれます。

言うまでもなく、私たちの体は「原子」の集まりでできています。
その原子の形はよく、この記事タイトルの下にあるような絵で表現されています。真ん中に原子核があって、その周囲を電子が回っているというこの構図。教科書とかで見たことありますよね。
ただこうした図は、見た目に分かりやすいよう、相当にアレンジされたものなんです。実際には、周りの電子は、原子核のこんなに近くを回っていません。

では、どのくらいのところを周っているのかというと――
仮に、真ん中の原子核を「直径10センチ」のソフトボール大だとすれば、周りの電子はなんと「直径3キロメートル」の円軌道を回っている、ということになるんです。
10センチの原子核に対して、3キロメートル……。絵の中には到底収まりきらないくらい、ものすごく離れているんですよね。

そして、その離れた間というのは、全く何もない「空」です。
物質というのは、中身が詰まっているように見えるけど、実際はスカスカの隙間だらけなのです。
スピリチュアルの世界では、形あるモノや私たちの肉体そのものというのは、見かけだけの空虚なものであるという表現がよくされます。それが単なる比喩というわけではなくて、物理的な現実であることが、よく分かりますよね。

ちなみに、もしも人の体をギューッと押し縮めて、原子核と電子の隙間がなくなるまで小さくしたとしたら、人はどれくらいの体積になるでしょうか。
ペットボトルくらい? コップくらい? サイコロくらい?……

答えは、なんと「赤血球」くらいの大きさになってしまう!
その赤血球くらいのサイズが、私たちの物質としての「実体」ということになります。体の体積の残り大部分は、全く何も存在しない「空」ということです。
もっとしっかりと中身が詰まってそうな実感はあるでしょうけど、でもこれが物理的な事実です。

ここでちょっとイメージしてみたいのが――
赤血球サイズの自分の実体が、果たして呼吸したり、食事したり、消化したり、生殖したり、さらには色々と思考したり、感情を抱いたり、人格を備えたり、そして命として生まれたり死んだりするものでしょうか…。
むしろ物質としての実体よりも、隙間の「空」のほうに、さまざまな行為や生滅を可能にさせている「私たちの本質」がある。そう考えるほうが、ずっと自然だと思えるでしょう。

たったこれだけのシンプルなことでも、物理的な事実の先には、目に見えないスピリチュアルな奇跡を感じずにはいられないです。
20世紀を代表する物理学者のアインシュタインも、何とこんな言葉を残しています――

「科学の探求に真剣に取り組む者は、宇宙の法則において精霊が現れていると確信する。人間をはるかに超越した精霊だ」
「神聖さは、物理的次元においてそれ自身を現す。私は神秘を信じている」