ココロセラピストが語る!何故「がんばる」のはいけないのか?

ココロセラピストが語る!何故「がんばる」のはいけないのか?

ウツの人に「がんばれ!」と言ってはいけない?

ここ数年、「がんばれ」という言葉がどうも嫌われていると言うか、避けられている傾向があるように感じます。
特に精神科領域では、ウツの方等は既に苦しいながらも頑張っているのに、「がんばれ」と言われるとこれ以上何をどう頑張れば良いのかわからなくなって余計症状が悪化してしまうと言う説が広まったからだと思います。

「そもそも世の中に頑張らないで生きていられる人がいるのだろうか」
「みんな少なからず頑張っているから生きていられるのではないか」
「何故そうまでして自分たちは“がんばれ”と追い詰められなければならないのか」
……そんなふうな解釈をする人が増えて来たようです。

そんなわけで、今回は「がんばる」について一緒に考えて行きましょう。

「がんばる」の元々の意味とは?

そもそも「がんばる」のとはどんな由来があるのでしょうか。

がんばる説 その1…「眼張る」
文字に注目すると目を張って見張るという意味ですよね。ジーッとしている、つまり一定の場所にとどまるというニュアンスになって、現在の意味合いになった。

がんばる説 その2…「我を張る」
「我」は自分のことです。自分を前面に押し出して一歩も引かないと言ったようなニュアンスですよね。これがマイナーチェンジして現在の意味合いになった。

どちらの説が正しいかは何とも言えませんが、それらが各地に広まって長い年月を経て現在の「頑張る」になって落ち着いたようです。「頑なに」に「張る」なのでニュアンス的に「我を張る」に似てなくもないですよね。

どちらにも言えるのは「当て字」だと言うことですね。
最近の人たちが「がんばれ」という言葉を好まなくなってきた理由は、社会全体が疲れ切っているから(?)というのもあると思うのですが、実は文字に秘密が隠されているのではないかと思うのです。

「眼張る」も「我を張る」も「頑張る」も、文字だけ見ると、どれもネガティブなんですよね。気合い、根性、努力。辛かろうが挫けそうだろうが決して諦める事は許されない。文字からそんなイメージが連想されてしまうのかもしれません。これこそ言葉の魔力(言霊)なのかもしれません。

だからかどうかはわからないですが、時々「顔晴る」という文字を当てて使っている人をネットなどで見かける事があります。もちろん、言葉遊びと言うか当て字なので国語(日本語)のテストで、そのような文字を書いたら減点対象になりますが。

英語だと日本人的感覚だと「Fight!」(戦え!)と言った無意識的に特攻隊を連想させるようなイメージに思ってしまうかもしれませんね。ちなみに中国語では応援する時は「加油!」と言います。これは、ちょっとイメージが違いますよね。「熱くなれ!」とか「エネルギーを使え!」というような情熱的な感じがしますね。

では、「がんばれ」は本当にネガティブで追い詰める言葉なのかというと、少なくとも僕はそのようには思っていません。何故なら追い詰めようとして応援する人って、そんなにいないと思うのです。
空気を読まず、相手の気持ちを考えず、特に具体的助言も無いのに「がんばれ」と言われたら、確かにムッとするかもしれませんが、嫌いな人に「がんばれ」とは言いません。

現代人は、言葉にとても敏感になりすぎていると言う気がします。しかし過度に神経を使いすぎて、なんでもかんでも存在している言葉を否定するのもどうかと思うのです。

意図的に悪意を込めて差別用語を使うのは論外ですが、言葉の裏にどのような気持ちが込められているのかを読み取る能力もこれからの時代、大切なのではないかと思うのです。

もしかしたら「がんばれ」のなかにも、深い深い愛情が込められているかもしれません。