愛とセックスの歴史考察 『官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』

愛とセックスの歴史考察 『官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』

人々は社会によって、愛とセックスの悦びをどのように教育されて影響を受けてきたか、そして、これからの愛とセックスはどのような変化を遂げていくのか、を考察した画期的な1冊が発売になりました。

日本人はなぜこれほどまでに不倫に厳しくなったのか?

妻・愛人・女友だちの3 人を必要とした古代ギリシアの男たち。夫承認のもと、若い恋人と戯れた14 世紀のフランス人の妻たち。たいていの妻に愛人がいるエチオピアのボラナ族。今でもこの世界には、一夫一婦制度におさまらない社会が広く存在する。
時代によって愛の価値観はいかに変化してきたのか?
愛の価値観の変遷、世界の結婚制度、不倫の歴史とは?
数々の民族調査、芸術作品、身近な例を具体的に挙げながら、男にも女にも愛人が必要だと説く画期的な新刊!

官能教育とは?

タイトル『官能教育』という言葉には、フロベール『感情教育』L’Education sentimentale や、本書でも論じたP・ゲイの『官能教育』Education of the Senses と同じく、「恋愛をめぐるレッスン」というような意味合いが含まれています。「感情」とか「感覚」とかいう語はあくまでも恋愛に限定されて使われています。ただし、そのままでは原語の意味合いが伝わらないので、あえて「官能」という言葉が選ばれ、さらに、「教育」という語にも暗に「調教」とか「修行」というニュアンスが加えられています。
本書の目的は、愛およびセックスの悦びについて、人々は社会によってどのように教育されてきたか、影響を受けてきたか、および、これからの愛とセックスはどのような変化を遂げていくのか、その全体像を俯瞰して示そうとするものです。

『感情教育』とは?

『感情教育』(仏:L’Éducation sentimentale)は、ギュスターヴ・フローベールの長編小説。二月革命前後のパリを舞台に、法科学生フレデリックの青春を、ことに貞淑なアルヌー夫人への恋を主題として描いている。フロベールの作品の中では例外的に自伝的な要素の濃い作品。1864 年から1869 年にかけて執筆され、同年に刊行。『ボヴァリー夫人』『サランボー』に続く三作目の長編小説。

私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたのか?

日本に「恋愛」の概念が入ってきたのは明治期です。世界的にはヴィクトリア朝の厳しい戒律に縛られた西洋社会が背景にありました。それまでの日本で一般的だったのは「惚れる」という言葉でした。「妾」や「姦通」があった時代には、やや大げさに聞こえる「恋愛」は、なかなかなじまなかったようです。
しかし、時を経て、西洋的な恋愛は浸透し、一人と一生愛し合うことを最上とする結婚に価値がおかれるようになってきます。そして、建前上、セックスとは、いわば契約的に愛し合った相手、結婚した相手とだけとするものになったのです。

人にはなぜ愛人が必要なのか

誰にとっても自分を支えてくれる愛情が必要だけれども、それを常に配偶者が保証してくれるわけではない。だから男性だけでなく、女性にも愛人が必要。ここでいう「愛人」とは、かつて権力や富をもった男性が独占的に女性を所有するという話ではない。そもそも古代ギリシアの男たちは、妻・愛人・女友だちの三人を必要としたし、14 世紀のフランスの妻たちは、夫承認のもと、若い恋人と戯れていた。エチオピアのボラナ族は、たいていの妻に愛人がいる。今でも世界には、一夫一妻制度におさまらない社会が広く存在している。わたしたちが思っている愛のかたちはむしろ例外的。

「結婚に至らない恋愛」は失敗なのか?

恋愛はいつ始まり、いつ終わるのか? 男女は出会い、お互いが好きになって、いつしか恋が成就し、結婚すると普通考えられている。しかし、それでは、恋愛は一時的なプロセスに過ぎないものになる。私たちは、人を好きになるとすぐに「恋愛」という言葉でひとくくりにしてしまうが、本当はもっと振れ幅の大きな世界が広がっているのではないか。結婚に至らなかった恋愛も、ただ 一方的に好意を抱いただけの恋も、失敗ではなく、輝かしく美しいものとして記憶すべきなのだ。

日本語に訳せない英語“ Flirt(フラート)”

異性との視線のやりとりや誘惑、ちょっとした接触などを楽しむ。
しかし、交際の可能性を模索したりはしない。
何歳になっても、これらのことをもっと楽しめばいいのです。
人はたくさんの人を愛するようにできています。
表現の仕方にさまざまなかたちがあってもいい。
ちょっとした心のふれあいこそが人生を豊かにする。
こういったことを表現する英語が「flirt(フラート)」です。
日本語にはない言葉と考え方で、感覚的には、いい意味でまたは「気のあるそぶりを見せる」くらいな感覚です。
大人の人間が意図的にロマンを匂わす仕草、会話、行為などをいいます。
「いちゃつく」というふうに直訳されることがありますが、フラートはもっと意識的なもの。
フラートは嫌らしくもなんでもなく、たとえば欧米では母親は息子に女性を喜ばすエチケットを教育の一環として教えこむぐらい、大人になるにおいて大切なものです。
フラートには必ず性的(スケベではなくセクシャル)な意味合いがあり、しかも性行為に至ると限らず、知的でストイックなもの。
フラートには「言葉によるフラート」と「行動によるフラート」があります。
「言葉によるフラート」は、お世辞など、言葉で好意を表現する方法。
「行動によるフラート」は、例えば男性が女性にドアを先に開けてあげたり、コートを脱ぐのを助けてあげたりなどが初歩的ですがフラートの基本です。
実際にボディ・タッチで相手の体にわざとらしく、思わせぶりに触れたりする場合もあります。
いずれも、「大人のどうしのやりとり」です。
日本人にはわかりにくいかもしれませんが、とても興味深い考え方と言葉です。

 

植島 啓司氏

1947 年東京都生まれ。宗教人類学者。宗教人類学者。1972 年東京大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、ミルチャ・エリアーデらのもとで研究する。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。1970 年代から現在まで40 年以上、世界各地で宗教人類学調査を続けている。著書に『聖地の想像力』『偶然のチカラ』『生きる力』『日本の聖地ベスト100』(以上、集英社新書)、『性愛奥義』『賭ける魂』(以上、講談社現代新書)など多数。

 

『官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』
植島 啓司 著
819円(税込)
2013/11/29発売