伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.8 最上の悟り

伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.8 最上の悟り

仏教的アドヴァイタ

あの涅槃経に出てくる話で、眉間にダイヤモンドをつけていた力士が、ダイヤモンドを見失って、外の世界にそれを求め、あらゆる方面を探したが、見つけることが出来なかったのを、覚者に教えられて、ダイヤモンドが自分の内にあったのだと気づいたのと同じことである。

このように修行者は、内なる本質の心を見失って、それが仏であることに気づかず、外の世界に仏を求め、修行をすることで結果を得ようとし、ずっと努力を重ねるが、永久に道を成就することはできない。

そうではなく、今この瞬間にダイレクトに無心でありなさい。

すべてのものは、存在しているのではなく、得るものもなく、寄りかかるものも、位置するものもなく、主体も客体もないことを知って、妄想を起こさなければ、本当の悟りを得るだろう。

道を成就するとは、ただ本質の仏に気づくということである。

長年の修行は、空しい努力に過ぎない。力士がダイヤモンドを自分の内に発見したように、外の世界に探し求める修行は、本当の悟りとは何の関係もないのである。

だからこそブッダは「私は最上の悟りについて、何も得たものはない」と言ったのだ。

ただ、ブッダは、世間の人がこの境地を理解できないと思ったので、「五つの目と五つの言葉」(金剛経)について語っただけだ。
真実であり虚偽ではないこの境地こそが、最高の真理の教えである。

(日本語訳は、「伝心法要・宛陵録」入矢義高著 筑摩書房刊 を参考にさせて頂きます)

本当の悟りとは?

黄檗希運は、外の世界に仏を求める修行は、本当の悟りとは関係がないと言っています。
それはまるで、ダイヤモンドをすでに持っている力士が、ダイヤモンドを探しているようなものだということです。

金剛経の五つの目とは、肉眼・天眼・法眼・慧眼・仏眼の五つの物の見方(認知)です。
五つの言葉とは真語・実語・如語・不誑語・不異語です。

ブッダは、人々を導くために、このような手法を用いたのですが、本来の悟りは、プロセスを経て獲得するような境地ではないと黄檗希運は言っています。

 

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