「ちょうど良い」を目指して~暑くもなく、寒くもない季節とは?~PART.2

ちょうど良い、はありえない?

人間は、絶対に「ちょうど良い」を経験できないと、昨日の記事でお伝えしました。
快適な室温を求めて、クーラーの設定温度をいじり、

28℃では暑いとピッピと下げて、26℃では寒いとピッピと上げて、それなら、27℃なら「ちょうど良い」かと思いきゃ、まだ少し、寒い。
ここで、最新式のクーラーを用意して、27.3℃を設定すると、少し暑くなる。

よっしゃ、こうなったら仕方ない。

世界中の科学者と技術者を無駄に総動員して、ガラス張りの実験室を用意して、そこに被験者を入れる。
そしてついに、奇跡の小数点以下4桁の室温の設定に成功し、「ちょうど良い」室温とは、27.2863℃の事なのだなと、NASAの指令室のような場所で、科学者が抱き合って、喜んだとしても、ガラス張りの実験施設の中に居る山田君は、「いやぁ、やっぱり少し、暑いっすわ!」と言いだす始末。 

どこまで、小数点以下の温度を調整しても、「ちょうど良い」には絶対に行き当たりません。

一方、その、ガラス張りの実験施設を見つめる、NASAの指令室には、世界中の科学者が100人くらい結集しているにも関わらず、誰ひとりとして、「暑い」とも「寒い」とも言わない事に、誰も気付けない。

その指令室は、そうじのおばちゃんが、超適当に室温を設定してあり、アフリカ出身の科学者も、アイスランド出身の技術者も居るのに、誰ひとりとして、「暑い」とも「寒い」とも言わない。

そう、その状態とは、「ちょうど良い」の状態です。
だけど、「ちょうど良い」は経験にアラワレ無いのだから、

そのNASAの指令室の温度が「ちょうど良い」なのに、誰もそれに気付けない。というより、「経験」出来ない。

もちろんここで、セネガルあたり出身の物理学者が、「っは!!待ってくれ、この指令室の温度こそ、ちょうど良いではないか!」と意識して、「そうだそうだ!」となって、山田君を実験室から出して、指令室に移すと、「ここ、むっちゃ暑いんですけど」と空気を読まない発言。

計測しだすと、絶対に、「ちょうど良い」の数値は算出できない。
だって、それは、「経験」として現れている時点で、「ちょうど良くない」から。

エネルギーが、どちらかに傾いたからこそ、この世にアラワレて、そのアラワレを見つめるあなたは、それを「経験」する。

NASAの指令室では、「ちょうど良い」が起こっていた。
でも、「ちょうど良い」からこそ、誰ひとりとして、それを経験できなかった。

そして、ここからが、大変な話しだ。
なんと、人間はやっかいな事に、「ちょうど良い」を目指してしまう。

あなたは、「ちょうど良い」体重になりたいし、「ちょうど良い」身長になりたいし、「ちょうど良い」性格に憧れる。

なんて、やっかいな話しだろう。

だって、この世では、絶対に「ちょうど良い」が経験できないと、世界中の科学者が集まった、あの熱気ムンムンの指令室で証明されたのに、人間は「ちょうど良い」だけを目指して生きている。なんたる、不運!!

あわれ、人間!

もう、見てて、痛々しい。
ということで、まずは、この2点を知ることが大事です。
①この世では、絶対に「ちょうど良い」は経験できない。
②それなのに、人間は「ちょうど良い」を目指して生きている。

 

ここまで、シれたなら、次の段階に話しは移ります。

 

 

(PART.3につづく)