「ちょうど良い」を目指して~暑くもなく、寒くもない季節とは?~PART.1

ちょうど良い、はありえない?

夏から冬に向けて、季節は移ろいます。
10月の今日は、その間にある、「秋」という季節です。

人間は、夏に「暑いなぁ~」と言います。
冬に「寒いなぁ~」と言います。

では、暑くもなく、寒くもない瞬間は無いのでしょうか?

実は、無いんです。

 

ちょっと、あなたの記憶を振り返ってみて下さい。
6月ごろ、あなたは言いました。
「最近、蒸し暑くなってきたなぁ。昨日までは寒いってコタツに入ってたのに。」
11月ごろ、あなたは言うでしょう。

「最近、寒くなって来たなぁ。昨日までは、クーラーガンガンだったのに。」
暑いと言っていた自分が居て、寒いと言い出した自分が居て…、 だけど、それぞれの中間地点に、 「ちょうど良い」という記憶が無いことに気付けるでしょう。

なぜなら、人間は、「ちょうど良い」トキ、それを経験出来ないんです。
この世では、どちらかに、エネルギーが偏っているトキ、それを経験できます。
それが、目に入って来ます。鼻につきます。体験します。

この世の原理なんです。
どちらかに、エネルギーが偏らない限り、アラワレて来ないんです。
どちらにも傾いていない「ちょうど良い(無)」では、何も起こらないんです。
すると、あなたは、言うかもしれません。

デラックス
「そんな事は無い、記憶を辿れば、どうにか、夏と冬の境目あたりの日々に…、 例えば、5月29日とか、5月30日とかに、私はちょうど良いを体験したはずよ!

えーっと…、記憶記憶…、 そうだ!言った、言った!  思い出したわよ! 山本の奥さまと、『近頃は過ごしやすい季節になりましたねオホホホホ」って、 朝のイドバタ会議で言ったわよ! ほら、ちょうど良いって、言ってるじゃん!」

過ごしやすくなったとあなたが言ったその頃、 あなたは、気温を意識して無かったはずです。

仮に、意識していたとすれば、 「涼しくなったわね(寒い側)」か「暖かくなって来たわね(暑い側)」であり、 エネルギー的には軽微ではありますが、 やはり、「暑い」か「寒い」かのどちらかに偏っていたはずです。

完全なる、フラット地点である、「ちょうど良い」は、 この世では経験できないのだから。
絶対に、どちらかなんです。「暑い」か「寒い」かの。

僕の会社の営業所にはクーラーがついています。
その温度設定を、いつも気にしている後輩が居ます。
彼は、暑いと言って、クーラーの温度をピッピと下げます。
しばらくすると、寒いと言って、クーラーの温度をピッピと上げます。

じゃあ、彼は、「ちょうど良い」をいつ経験したのか?
そもそも、クーラーの温度をいじってばかりで、どうして給料がもらえるのか?

みつろう
「ねぇ、山田君。いつもクーラーいじってるけど、 寒くもなく、暑くもないトキは、あった?」

山田君
「そう言われると、不思議ですね。無かったや。 暑いときって、クーラーのリモコンが目に入るんですよねぇ~。 で、寒いときも、なんかリモコンが目に入る。 でも、この会社で、ちょうど良かった時って、無かったですね。 それにしても、いつでも、「暑い」か「寒い」かのどちらかなんて、 この会社のクーラー、壊れてるんじゃないっすか?」

みつろう
「いや、壊れてないよ。 実は、事務所の温度が、ちょうど良かった時があったんだ。 でもそのトキ、君は、クーラーのリモコンを見てなかっただけなんだ。
なぜなら、「ちょうど良い」時、それは、君の体験にはアラワレないから。
ひょっとすると、そのトキ、君は、営業の電話をしていたかもしれないし、 部長と会議をしていたかもしれない。
どちらにしろ、君の意識は、「室温」には向いて無かったんだ。 だって、「ちょうど良い」はこの世にはアラワレないのだから。
いいかい、山田君。 人間はね、「ちょうど良い」を絶対に経験出来ないんだよ。」

「ちょうど良い」を絶対に経験出来ない人間。
これは、どういう事なんでしょうか?何を意味しているんでしょうか?

(PART.2につづく)