スピリチュアリティ(精神性)~全ての存在との連帯感や感謝、そして驚異~PART.1

霊能力

大学時代、キリスト教学の教授は、「神」の定義が一致していない相手との会話は苦手だと話していました。共通の定義に基づいていない二者の会話は、お互い同じ事について話しているつもりでも、実は別の事について話しているからです。
今回は、私がスピリチュアリティ(精神性)をどの様に理解するに至ったかをお話したいと思います。しかし、ここでお話することは、人間の成熟同様、私のスピリチュアリティの理解が発展すると共に、変化する可能性があるということも心に留めておいてください。

10代の頃、私はよく正夢を見ました。夢を見た直後は直ぐに忘れてしまうのですが、その3~6か月後に、まるで映画のワンシーンのように、夢の中で見たのと同じ光景が目の前で起こるのです。
私は、未来を見ることができることが恐ろしくてたまりませんでした。そして、人生について疑問を持つようになりました。人間は、自らの運命に口を出す権利があるのか、それとも全て起こるべくして起こるのか?運命が既に決まっているのなら、人生の計画を立てる意味はあるのか?また、そうでなければ、どうしたら自分たちで運命を変えたり、コントロールすることができるのか…?
自分はただ、どこにでもいるティーンエイジャーように友達と遊んだり、優しくてかわいい彼女を見つけたいだけでしたし、将来の夢はパイロットか宇宙飛行士になることでした。普通の人生を送りたかった私は、予知夢をみるのがいつも怖くて仕方ありませんでした。ですので、私は常に自分に強く言い聞かせることで、予知夢を見ないように、また、仮に見てしまったとしても、それに気が付かないふりをしていました。

そんな私の願いは、宇宙(または神、それとも意志と呼ぶのかは、皆さんにお任せします)によって聞き入れられ、暫くの間は予知夢を見なくなりました。
そして20年近く経ち、35歳になった時、ある霊能者が、私には霊能力があると言いました。最初は、私もその霊能者が正気ではないと思いましたが、最終的には自分に霊能力があることを受け入れました。そして、霊能力について深く理解する必要があると考えました。霊能力を理解する道のりはとても長く、容易ではありません。
例えば、「霊能者(またはサイキック)」という言葉一つをとってみても、多くの人はそれを占い師だと思っていますが、占いは、霊能力のほんの小さな一部分に過ぎず、霊能力の効率的な利用方法とはいえません。

私は、霊能力というものが、誤解や誤った定説に囚われ、抜け出せなくなっていると思います。
もっとはっきり言ってしまえば、デタラメばかりです。そして、その原因は、例えば、どこかの世間知らずな人が、やはり世間知らずな別の人間から何かを教えてもらったり、自らを美化するうぬぼれた狂人や間違った相互関係を策定する空想家の意見、あるいは純粋に何が起こったのか理解したいと望んでいる(つまりまだ理解できていない)人の間違った解釈のいずれかである場合が多いです。もちろんある程度は、これらの内の酷いケースにおいても、正直なところでは、思い込みの激しい矛盾した精神異常な狂人であることを認めたくなかったり、悪魔に取りつかれてしまうのではないかといった心配の表れであることも理解できます。

(PART.2へつづく)