「食べて、祈って、恋をして」エリザベス・ギルバートさんインタビューPART.1

愛は、答え

全世界41カ国で刊行され、700万部を突破する世界的ベストセラー「食べて、祈って、恋をして」の著者エリザベス・ギルバートさんにTRINITY48号でインタビューを行いました。

本日は誌面で紹介しきれなかったインタビューをお届致します。

バスルームで神について祈っていると、自分の声が聞こえてきたという場面があります。神は、自分の中にある、とお考えですか?

はい、そうだと思います。いつも神の声がきこえないでいるのは、私自身が迷い、心配してエゴが邪魔しているからだと思います。

とても興味深いことに、近年、多くの人が私に近づいてきて言うのです。「私もとても深い孤独を味わった後の重要なスピリチュアルな瞬間は、真夜中のバスルームでした」と。
何故神はバスルームに現れるのでしょうか?
私が思うに、バスルームは最もプライベートな空間であり、あなたがあなた自身以外の何者をも演じていない状態の場所だからだと思います。

神は至高の愛の経験であるという一行があります。それでは、愛をたくさん経験する事は神への道につながるのでしょうか? 親の愛、男女の愛、人類愛・・・。いかが思われますか?

はい。すべての宗教においてもそうであるようにー愛は、答えだ、と思います。

私達は、お互いを思いやるために地球にいます。より愛情深く、私達はこの義務を行うべきです。しかし重要なことは、この愛が「健康的である」ということです。
つまり、虐待や中毒、自滅的な愛ではない、ということです。
こういった種類の愛からは距離をおいてください。必ずです。
そこには何一つ良いことが待ちうけていませんから。

恋人の師を見て、「わたしにも精神の師が欲しい」と思った、と書かれています。精神の師は、どうやったら探す事ができるのでしょうか?
それとも、自分の準備が整ったところで自然に出会うとお考えですか?

神秘主義者は、つねに生徒の準備ができた時に師は現れる、と言います。
私は私達が魂のレベルで師に飢えているとき、師は現れる、と表現します。
私は今、とても満ち足りていて、怠惰です。もし誰か私の精神的な師となるべき人が私の前に現れたとしても、私はおそらく気がつかないでしょう。
しかし、私にも救出を求め、答えを探し貪欲にそこら中を探している時もありました。そんな時に私のグルは現れたのです。

離婚がかたづくように、神に嘆願書を書く場面があります。(その後すぐに離婚が成立。)
また、紙に書き出しながら神と対話する場面もあります。神との対話を、書くことでする、というのはご自身が作家だからでしょうか? この事にはアファーメーションのような一面もありますか?

私は神への日記をまだ描き続けています。私に尋ねる為(ハイヤーセルフに尋ねる為)困難な場面でどうすべきか、ということについて。
私はそれがアクシデントだとは思いません。なぜなら書く事は私の道具箱の中で、もっとも威力のある力強い道具だからです。もし私がダンサーだったならば、私は神への道として踊っていたでしょう。もし私が料理人だったら、料理をして神に近付いたと思います。

つまり、あなた自身の持っている方法で神に近付くのです。書く事が嫌いな人にとっては、私の方法は全く意味がないでしょう。
しかしあなたは自身に尋ねなければいけません。どこが私の人生において、もっとも神聖な軌跡に近づいた場所だった?と。
それから、その場所にできるだけしっかりと身をのりだして下さい。そのヒントに従って、より深い場所に入っていきます。この方法はあなたが行くべきところに連れて行ってくれるでしょう。

うつ症状が現れて薬を飲んでいるさなか、1年間の旅にでることを決定します。うつという状態でよくそのようなパワーがあったと驚くのですが、原動力は何でしょうか?

旅行を始めたころ、私は実際うつ病の薬から脱しようと試みていたんです。ローマに行く前には、私のうつ症状はすでに消えかかっていました。

私にとって、うつの真っただ中で旅行に行こうとするというのはひどいアイデアだと思います。
うつの真っただ中にいるときは、私は家族のそばにいること、愛している人々の傍にいる事、私を助けてくれる心理学者の傍にいる事のほうが大切でした。

けれど2003年までに、私は自分を取り戻しつつありました。そして一人で世界中を旅しよう、という度胸と想像力がもどってきたのです。
そして旅立つこと決心しました—その瞬間—その決心はわたしが今までした決心の中で最も素晴らしい決断でした。なぜならその興奮、旅行の斬新さが、私の魂に火をつけて、生きる気力を与えてくれたからです。
(PART.2へつづく)