伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.7 あるがままが法則

伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.7 あるがままが法則

仏教的アドヴァイタ

ただダイレクトに無心であるなら、その本質は、太陽の日輪が虚空に昇って、すべてを満遍なく照らし、さえぎる物が何もないように、自然に現れてくるだろう。
だから、修行者は、ただ知覚作用だけで行動をしていたら、知覚作用を失った時、道を失って、悟ることができないだろう。

ただ、知覚作用が起こる場に、本質の心があることに気づきなさい。しかし、本質の心は知覚作用に属しているものではなく、また知覚作用から離れているものでもない。

ただ、知覚作用に従って解釈をするのをやめなさい。

また、知覚作用に従ってイメージを生じさせるのをやめなさい。

同時に、知覚作用から離れて心を求めることはやめなさい。

また、知覚作用を捨てて法則を求めることもやめなさい。

つかず離れず、居座らず、執着せず、自由であるなら、この道が生じる場そのものであることができる。

世間の人は、仏がこの宇宙の法則を伝えていると聞いて、自分の心の上で、新たな法則を知り、獲得すべきであると勘違いし、心で法則を求めている。

しかし、心こそが法則であり、法則こそが心だということに気づかない。心でさらに心を求めてはいけない。そんなことをしていたら、無限の期間、修行をしても、いつまでたっても見つけることはできないだろう。

今この瞬間にダイレクトに無心であれば、このあるがままが、法則なのである。

(日本語訳は、「伝心法要・宛陵録」入矢義高著 筑摩書房刊 を参考にさせて頂きます)

黄檗希運が重視すること

黄檗希運は、ダイレクトに無心であるということを重視しています。

知覚作用(五感で感じる感覚)だけでは、悟ることはできない。知覚作用に属しているもの、すなわち、知覚作用による解釈やイメージは、本質の心ではないということです。

しかし、知覚作用を離れたり捨てたりすることも、本質の心ではないといいます。なぜなら、本質の心は、知覚作用が起こる場に存在するからです。

宇宙の法則は、獲得すべきものではない、ということです。それは、心で心を求めるようなものだということです。
心そのものが、宇宙の法則だといいます。

今この瞬間にすでにあるものが、そのままで法則であるということです。

 

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