エンジェル・セラピスト(R)夫婦のスピリチュアル子育てPART.10~君のためにできること You’re the Only…~(潤治編)

「犠牲の罠」から抜け出す方法

高齢出産を経て、新しい命とご縁をいただき、愛娘 このは 中心の生活を送っています。
このはの存在は「ひとりの時間」というものを「家族の時間」という新しい世界に変えてくれています。

11年前に結婚して、「夫婦の時間」という新しい世界を楽しんできましたが、これからの十数年、家族の時間というものが人生の中心にあるように思います。
パートナーの寛子は、躊躇や戸惑いなくその時間を存分に味わっています。

夫の僕から見ると、このはに振りまわされているなぁ~と思うことも、動じず、慌てず、腐らず、愛娘との時間に興じています。
僕自身、夫婦で子育てという思いが強かったですから、寛子の妊娠を知ってから、自分に何ができるんだろうと空回り的に考えたりしました。

考えても、行き着く答えがなく、心は常に離陸しそうな気持ちでした。
実際にこのはが生まれてくると、細かな雑用が増えました。

始めのうちはほ乳瓶を使っていたので、洗浄・煮沸・乾燥・ミルクを作るといった一連の作業が意外に面倒でした。
おむつ替えは慣れず、うん○の時は焦りました。

夏の暑さは赤ちゃんに厳しく、洗濯物はすぐに溜まります。沐浴は緊張の作業でした。
1日が過ぎるのはあっという間で、娯楽の時間が減りました。

それでも24時間体制でこのはの面倒をしている寛子に比べれば、(24時間 娘の感情と向き合っている…という重責。)これはなんてことの無い作業の一環じゃないか、我慢しないといけないと自分を過小評価したり、犠牲の罠にハマることがしばしばありました。

命を生み出し、24時間体制で命と向き合っている寛子に劣等感を感じていたわけです。
「僕にはできない」…状態でしょうか。(→当たり前 男だから。)

雑多な仕事にかまけて、本質的なことを忘れそうになりました。
家族が幸せで穏やかな状態で過ごすことが最優先です。
僕が穏やかで笑っている→寛子はリラックスする→このはも自分に集中できる。

どうしても 「何をしてあげられたか?」 に目がいきがちですが、その大切な家族の中で 「自分がどういられるか?」 を大切にすることを、あらためて考える機会をいただきました。

 

たった一つの大切なもの

君のためにできること…

それは家事でも、身の回りのお世話でもなく、僕にしかできないことがあると認めて、穏やかにいることでした。
つまりは、僕が自分を認め、母子との関わりを楽しむこと…でしょうか。

「何もしてあげられていないのでは?」という劣等感や罪悪感にかまけて、楽しむことや穏やかでいることから逃避しないようにしたいと思います。
僕がサイゼリヤで本を読んだり、パソコンで作業したり、ひとりでテレビを見て笑ったり、秘密裏にミニストップでハロハロを食べたり、外食をしたり、買い物したり、くだらない時間を過ごしたり…
好きなこと、やってやったよ! と爽快な気分にひたっていると、罪悪感よりも、家族への感謝が涌き起こってきます。
ああ、僕、幸せ!この幸福感、おすそ分けしたくなってきた!状態です。

「君のためにできること」と力が入っていましたが、寛子や愛娘 このはのためにできることは、僕が自由に楽しく生きて、穏やかに過ごすことだと理解が深まりました。表面的な作業をこなしたほうが成果や効果が見てとれるから、そちらに心がシフトしそうな時も、本質はその向こう側にあると今では見えないカラクリがおぼろげに見えるようになりました。

成果に心が奪われ、大事なものが見えなくなったとき、家族はそのバランスを取ろうと、僕にいろいろなメッセージをくれるわけです。

それは赤ちゃんの愚図りだったり、寛子の体調の変化だったりと、一見、トラブルのように見えます。
でも、その不協和音が僕たちの成長の機会になってくれたりします。

たったひとつの大切なものを、目に見えるものに惑わされて失いたくないなと思う日々です。