エンジェル・セラピスト(R)夫婦のスピリチュアル子育てPART.8 ~赤ちゃんの最初の任務(潤治編)

赤ちゃんの泣き声は、感情に響く?

パートナーの寛子と出逢い、結婚して今年で12年目に入ろうとしています。
結婚して、数年、子供を作るという話を避けてきた感が僕にありました。父親になる怖れや、経済的なこと、何か新しい人生が始まってしまうことへの怖れなど…を口に出すのが億劫でした。

いろいろなトラウマを抱え、その傷と対面することから逃げていましたが、周りの方々、そして、AQUA MIXT にご相談に来て下さる数多くの人々からの勇気や応援のおかげで、子育てをするにはとても良い環境が揃いました。

そのような中で生まれてきた愛娘 このはもいろいろな人たちのサポートを受け容れているようです。ぬくもりのある温かい環境の中ですくすくと育ってくれればいいなと思っています。
生まれた時に泣かなかったこのはも母親と一体ではないことを感じ始め、そのうえ、肉体というものを持ち、自分の思い通りに動かせない歯がゆさからか、ツボに入ると大泣きします。
その泣き声はまるで悲しさと悔しさ、怒りが篭もっているように感じることがあります。

さすがに僕の胸に抱かれながらその声で泣き続けられると、始めのうちはぐったりでした…、それは精神的にも、肉体的にも。
感情をむき出しにした声は、ボディーブローのように心に響きます。
このはが生まれる前…、電車の車内で赤ちゃんが激しく泣いていると、周りの人たちがざわつくのを体験したことがあります。
ママさんは申し訳なさそうに赤ちゃんをあやしている光景を見て、「赤ちゃんが公の場で泣くことは周りに迷惑なことなのかしら」と思ったものでした。
周りの人たちの反応を見ていると、あきらかに嫌な顔をする人もいました。
その中でご年配のご婦人などは、にこやかに笑いかけたり、若いママさんと一緒にあやすのを手伝っていたりしました。
嫌な顔をするのはたいていが男性か若い女性のように僕の目には映りました。
うるさいな、静かにさせてくれ!という感じでしょうか。
赤ちゃんが泣き叫ぶことは迷惑なことなのかも?
という価値観が僕の中で萌芽しつつありました。

このはが泣き出すと、始めの頃は、泣きやんで欲しいという思いで抱いていました。
「ご近所に聞こえたらどうするの?迷惑でしょ?」とひとりで困惑し、焦り、不安になり、抱っこがぎこちなくなる、そして、このはの居心地悪くなり余計に泣くという悪循環でした。

しかし、その思いが強ければ強いほど、このはが泣きやむことはありませんでした。
泣きやまないこのはを見て、思い通りにいかない焦りが精神的にダメージでした。
泣き続けるこのはを見て、なぜ精神的に疲れてしまうか…
もうひとつ理由がありました。
それは、感情的になるこのはを見て、自分の感情が刺激されていることに気づきました。
僕だって泣きたいのに。
僕は感情的にならないように我慢してきた。
君だけ感情的になるなんてずるいよ。
好き勝手に泣きたい時に泣くなんて!
君も我慢するべきじゃないのか?
とこのはに対して無理難題をふっかけていたのです。

僕の癒されていない感情が、このはの自由に泣き叫ぶ姿によって呼び起こされて、その抑えていた自分の感情を目の当たりにして戸惑い、再び抑えようとして必死になり、疲れ果てる…というわけです。

破裂した水道管を手で抑えつけようとするようなものでした。
助産師さんや義母、実母から、
「赤ちゃんは泣くのが仕事なのよ。」と教えていただき、泣くのが仕事なんてずるいと思いながら、ああ、僕はその仕事を満喫できなかったのだろうか?と過去を振り返ったりしました。

そのようなことがあってから、おむつでもない、おっぱいが欲しいわけでもない…
愚図って泣き出すこのはを抱き上げてあやす時、彼女と一緒に泣くことにしました。
泣きたい気持ちや不安な気持ち…、過去に置き去りにしてきたたくさんの我慢を、あらためて感じ直し、一緒に泣くのでした。
そうしてしばらくすると、不思議に泣いている彼女を見ても、心がざわつくことがほとんど無くなりました。

ひょっとしたら、赤ちゃんたちが地球にやって来て最初の任務が、「みんな、感情的に癒され、解放するんだぁ!」と声高に叫ぶことだったりして?と思うとクスクス笑ってしまうのでした。