身体は汚れるものであるという誤解

身体のことを正しく知ろう

「せっけんで手洗いすると、風邪をひきやすくなる」
半年前に聞いたそんな藤田紘一郎先生の理論を出発点に、せっけん無し生活を始めたみつろう。
せっけんを使わなくても、身体から臭いは出ない事がわかりましたし、せっけんを使わなくても、アカや汚れが出るわけでも無いことがわかりました。
なにより、「しなければいけない」ことなんて、やっぱりこの世には無いんだなということが、身を持ってよくわかりました。

せっけんを使っていた頃みつろうは、こんな観念を持っていました。
「身体はこすらなければ、汚れが取れない」
「身体は洗わなければ、臭いが出る」
「せっけんが無ければ身体の汚れはとれない」
全て、「しなければいけない」と言う、ただの思い込みでした。

人間は、自分の観念を基に、現実を創り上げています。
「働かなければ、お金はもらえない」
「苦労しなければ、幸せになれない」
でも、それらの観念は、全てあなたが勝手に保持しただけで、何一つとして、宇宙に「絶対に」は在りません。

全てに絶対的に働く法則なんて、宇宙に無いんです。
相対性の宇宙に、「絶対」なんて無いんです。
あなたが、勝手に、信じたんです。

お風呂に入らなければ、身体が汚れるって。現実の創造者であるあなたが、そう決めたのだから、もちろん、現実は、そうなります。
「お風呂に入ら」なければ「臭いだす」ような現実になっていたことでしょう。

今日は、身体は観念に対して、どんな扱いを受けていたかについて見てみましょう。
以前まで、勝手に保持していた観念は、
「身体はせっけんでこすらなければいけない」とか、「身体はそのうち臭いだす」とか、要するに、こう思い込んでいたんです。

「身体は汚れるものである」
そんな視線で見られる身体は、たまったもんじゃない。

身体は汚れるものじゃないとわかった今だからこそ思えるのですが、
身体に対して、なんていうかこう、差別的な視線を送り続けていたんです。
自分の大切な身体ですよ?
そんな身体を、汚いものでも見るかのように、見ていたんです。

「身体は、洗わなければ臭いだすものである」
これだってそう。
身体なんて、洗い続けないとすぐに臭くなる、低機能な物体だと、見ていたんです。
今となって分かるのは、皮膚の常在菌が身体から出た老廃物を利用しながら、絶対に「臭い」なんて発生させない、超高機能が付いていたのに。

スーパーコンピューターの使い方がわからない人が、スーパーコンピューターに水をバシャバシャかけて、「ホラ、このコンピューターなんか煙出てるし、臭くない?」って言っていたようなモン。

自分の大切な身体を、「こんなくだらないガラクタめ」という目線で見ていたという事です。
悲しくないですか?
「こんな汚いものめ!ばっちぃ!」と見られた、大切な身体。
「こんなガラクタ、ポンコツめ!」と見られた、大切な身体。
大切な身体なのか? それ本当に。

そんな視線で、見ておいて、「大切」だと言えるのか?
「身体は汚れるものである」
汚れものでも見るかのようなあなたの視線の先に、大切な身体が輝いています。

 

あなたは、あなたの身体を、どう見ていますか?