末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」PART.3

末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」PART.3

犠牲と優先

今年6月からお届けしているこのコラムでは、自分の本当の内なる輝きを呼び覚まし、ミラクルを体験しながらハートがワクワクして楽しめる自己実現の方法についてお伝えしていきます。

PART2では、「自己実現」をする際の最も重要な基盤は、“Doing”ではなく“Being”であり、「何をどうするか」を考える前に「どう在るか」を決めることが大切である、というお話をさせていただきました。

さて今回は、その「どう在りたいか」についてさらに深めてみたいと思います。

前回、私の望む「在り方」は「ただ相手の幸福や成長のために役に立てる自分で在ること」だと書いたのですが、もちろん、どういう存在として生きていたいかということは、人それぞれ違っていてかまいません。
そこに「良い」も「悪い」もないですし、ジャッジは不要です。
たとえば、「自分がいつも心穏やかでいられるよう心がけたい」・「自分に正直に、自分が幸せを感じられる生き方をしたい」といったことでもいいですし、「家族やパートナーを大切にしていきたい」・「子どもを立派な大人にしてやれる親でいたい」といったことでもいいわけです。

ただ、自分の「在り方」を決めていくときに気をつけたいのは、その根底にある「価値観」。
「そうであるほうがいいから」、「そうあるべきだから」と、制限のあるマインドで決めつけてしまう必要はありませんし、心で湧き起こった感覚やひらめきを――たとえば、「自分が幸せを感じられる生き方がいいけれど、そんなことを望むなんて傲慢だ」と――打ち消す必要もありません。

これまでの人生を振り返ってみて、自分が喜びを感じられたときはどういうときだったか、どんな生き方を本当は望んでいたのか思い出していくと、自己実現のための「在り方」が見えてくるかもしれません。
大事なことは、頭を使って考え込むというよりも、ハートから、心でフッと思い起こされることに意識を向けることです。

また、その「在り方」は、人の期待に沿うものでなくてかまいません。周りから「評価」されるために設定することではありませんし、「いい人でいよう」とか「できる人でいよう」などと思わなくていいんです。「優秀」である必要はありません。
誰かに望まれたように生きることではなく、自分が望むように生きる。
それが「自己実現」なのであって、誰もがそれを果たす権利をもっているし、可能なことです。

自分が望むように生きる。

あなたは何を望んでいるでしょう。自分が望むように生きるなど不可能だと思う人や、傲慢だと思う人もいるかもしれません。
ここで大切なのは、「何を」望んでいるかです。本当に望んでいること。

おそらく誰もが、「自分の」幸福を望んでいることでしょう。自分の不幸を望む人などいませんし、「人の役に立ちたい」という願いも、そうである自分が幸福を感じられるからこそ望むことです。
どのような「在り方」でいることが、自分にとっての幸福か。それが“Being”のテーマ。
もしよければ、ご自身の「幸福」と「在り方」について改めて考えてみてください。

幸福感を選ぼう

さて、「自分が望むように生きる」ことが可能だと思えたとしても、そういうスタンスで生きることにブレーキをかけてしまうことがあるかもしれません。
「こうなりたい」という、望む生き方のスタイルがあったとしても、それは必然的に何かを犠牲にすることになるんじゃないか、と。
自分のやりたいことをすることで友人やパートナー、子どもとの時間を犠牲にしてしまう。
一緒に居られる時間が少なくなるのは自分にとっても嫌なことだし、相手に対しても悪い気がしてできない。そんなふうに思う人もいるかもしれません。

でも、「犠牲」と「優先」は全く別です。
何かを「犠牲」にしていると思うとき、そこには「罪悪感」がつきまといます。
本当にやりたいことに打ち込むこと、人生のうちの多くの時間をそれに費やすことは「罪」でも何でもありませんし、「損」しているわけでもありません。
家族やパートナーを寂しくさせてしまうこと、何か「我慢」を強いることになってしまうことを悪いことのように思って、自分の本当の望みを、「自己実現」をあきらめなくてもいいんです。

何かを「選択」するということは、何かを「選択」しなかった、ということ。何かを「優先」し、何かを「選ばなかった」。
その姿勢にマイナスの印象を持つ人はいるかもしれませんが、その「選択」自体は何も悪い意味を持っていません。良い意味も持っていません。
「優先」したことによって選ばなかったほうをどうするかは、自分の考え方と周囲の受け取り方に不一致があったとき、「理解」や「協力」を得られるか話し合ってみればよいことであり、最初からそれを、相手を傷つける行為として勝手に決めつけて「罪」だと捉える必要はありません。

「罪悪感」を選ぶということは、「幸福感」を選ばない、ということです。
自分の「幸福感」は自分ひとりの内でとどまることではなく、必ず周囲の幸福にもつながっていきます。選べるのは、あなただけ。あなた何を選んでいきますか?