神仏絵師のよろづ話:第十八話「音を観ると書いて観音と読む」

観音様って何?

こんにちわ。神仏絵師の昌克です。以前にもこのコラムで触れましたが、「観音様って何?」と聞かれたときに私は、まず、このお名前の意味からお話します。観音様のお名前は「音を観る」と書きます。不思議でしょ? 音なら「聞く」であって、観ることができるのは、物質や現象ですよね。この名前の謎掛けこそが、観音様の存在を表現していると言っていいのです。では、ここで例を上げてお話ししてみましょう。

あなたにとって一番大事なものはなんでしょう?

すぐに答えられる人は少ないんじゃないでしょうか? こう聞かれると、いろんな想定をしちゃうからです。でも、突き詰めていくと一番大事なのは、あなたの「命」ではないでしょうか? 何をするにも、生きていないと何もできない。だったら、その命を長らえるためには、最高の医療が必要で、そうなると、結局はお金じゃないか な。。。と思った方もいるでしょう。もしかしたら、多くの方がこう思うのかも知れません。

確かに生物的には、心臓が動かし続けることが命を維持することと言えるでしょう。では、あなたは、心臓を動かすために生きているのですか?
ちがいますよね? 多かれ少なかれ、私たちは、愛する人とともに、良い服を着て、美味しい物を食べ、快適な住まいに住み、やりたいことをやって楽しく生きていきたいと思ってるんじゃないでしょうか? 「命の使い方」から生まれる「喜び」を手にしたいのではないでしょうか?
そして、この「喜び」が、まさに「生きる」ということなのです。

言うならば「命」というのは、心臓の鼓動であり、呼吸であり、目に「見える」事象で表すことができます。しかし、「生きる」ということは、目に見えるものではありません。しかしながら、確実に自分を「豊か」にしていることはわかりますよね。ここで「命」を「お金」に変えてみましょう。大切なのは「お金」ではなく、お金の使い方から生まれる「喜び」なのです。「時間」ではどうでしょう? そうですね。「時間の使い方」ですね。

「見る」ではなく「観る」効果

一見すると、目に見えるものは確実で、実体があるために、そこに価値があると思ってしまいがちです。これが、落とし穴なのです。見えているからこそ、どんどん欲しくなり、失うことを恐れてしまうのです。
人が、豊かさを求めるのは、もちろん当然なのですが、それが「欲」になると「飢餓」と言い、際限なく欲しくなります。あってもあっても欲しくなるのです。この飢餓に陥ると死ぬまでこの飢餓状態から抜けません。つまり死ぬまで不幸なのです。
それに引き換え、目に見える物を欲しがるより、なぜ欲しいのかということの本質を「観る」ことができれば、本当に必要な量がわかり、少なければ、少ないなりの喜びに感謝し、あればあるだけ、どんどん使っていけるのです。つまり死ぬまで幸福なのです。

さて、「足りない」「もっと欲しい」と嘆く姿と、どちらを選びますか?
お知らせ

ただいま、観音様をはじめ、様々な神仏画や像を展示した「第2回 神仏画展」を吉祥寺第一ホテル1FのギャラリーKで開催中です。
私だけでなく、他にも神仏をテーマにしたアーティストはたくさんいらっしゃいます。そんな仲間が集った作品展でございます。
お近くにおいでの際は、是非とも足を運んでいただければ幸いです。

特に今回は、来場者の皆様に「千手観音様」のA2ポスター(昌克作)を差し上げております。

 

<Information>
「第2回 神仏画展」
場所:吉祥寺第一ホテル1階 ギャラリーK
日程:7月11日(木)~7月16日(火)まで開催します☆
時間:12:00~18:00(最終日16:00)

<<神仏画展公式HP>>
特典企画の紹介や、メンバーの在廊予定も載せてます。
http://www1.parkcity.ne.jp/am/shinbutsugaten/2013/