神仏絵師のよろづ話:第十七話「仏画や仏像が生まれた訳」

仏画や仏像

こんにちは。神仏絵師の昌克です。私は子供の頃から絵が好きでした。そして、こういう子供のあるあるネタとも言えるように「算数」が苦手でした。これが数学になってからは、さらに苦手意識が強くなり、いつも逃げ出したくなっていました。でも、その反対に、数学は得意で大好きだけど、絵なんて描けない。という方もいます。同じ人間なのに不思議ですね。つまり「学ぶ」ということには「好奇心」がとても重要なことがよくわかります。
どんな職業を目指そうとも、「好奇心」のままに「学ぶ」ということは、私たちの世界では、とても難しいことです。目指す職業に就くために、嫌いな科目も勉強しなきゃいけないのが実情ですよね。

仏教においても、やはりその教義を学んでもらうために色々な手法がとられました。なかなか文字だけで伝えることが難しく、その結果、仏画や仏像と言うものが生まれました。宗派によっては、仏画・仏像の類いをおかないというところもありますけどね。

では、最初の仏画や仏像とはどんなものだったのでしょう。今なら、たくさんの絵や像が残っているので、だいたいの姿はみなさんも想像つくと思うのですが、最初となると大変だったと思います。
そもそも最初は、教義そのものより、釈迦如来様の伝記を表したものが、最初だと言われています。つまり、拝む対象ではなく、物語の挿絵のようなものだったそうです。これは、文字の読み書きができなかった人々にも理解できるような配慮だったのかも知れませんね。
そのうちに、その中でも有名なシーン、人気のあるシーンが生まれ、そこからそのポーズだけをピックアップして描かれていったようです。有名なのは、右手で天を指差し、左手で地を指差したポーズ「天上天下唯我独尊(私は、この世で一番尊い)」と、肘をついて寝ているポーズ「涅槃」のシーンでしょうね。

その後、仏画・仏像として表現する上での様式がどんどん確立していき、その手が「印」を結び、その座り方や、目線、髪型、衣などにどんどん意味付けがなされていきました。

私の描いた釈迦如来様も、実は二種類ございます。その違いはどこでしょう?

お気づきの通り、上下の絵では、足の組み方が違います。いずれも「結跏趺坐(けっかふざ)」という座り方なのですが、どちらの足を上にして組むのかで意味合いが違ってきます。

上の絵が「吉祥坐(きちじょうざ)」、下の絵は「降魔坐(ごうまざ)」と言います。実は、降魔坐の方は、修行中の座り方だと言われ、悟りを開いた者の座り方である「吉祥坐」は、釈迦如来様のみに許された座り方だとされているそうです。だから、座禅を組むときなどは、修行中の「降魔坐」で組まないといけないらしいですね。

形に意味があるのは、事実です。しかしながら、形にばかりとらわれてしまうと、目的を見失いがちになります。数学の公式だってそうです。丸暗記したものは「形」を覚えたにすぎません。でも、その公式の構造を理解すれば、覚える必要などありません。読めるけど書けない漢字は、意味を知っているけど、「形」を覚えてないだけです。

どちらがいいとか、悪いとかではありません。こういう事実を知っていれば、慌てずに対策が立てられるだけです。

できないことを嘆くより、できないことを補う方法を探しましょう。
そして、できるだけ自分の「好奇心」を満足させることに費やしましょう。
どうせ、同じ時間が流れるのですから。

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