伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.1 仏教的アドヴァイタ

伝心の法則~ある偉大な老人の教え PART.1 仏教的アドヴァイタ

仏教的アドヴァイタ

このシリーズでは、中国の偉大な禅師「黄檗希運」の教えを、分かりやすく意訳し、解説させていただきます。黄檗希運の教えは、仏教をベースとしたアドヴァイタ(不二一元論)であり、究極の悟りの境地を伝えています。

日本のスピリチュアル界では、ほとんど知られていない存在ですが、その悟りの境地は圧倒的なものであり、アドヴァイタに興味を持たれている多くの方にとって、役に立つ教えとなることでしょう。
(日本語訳は、「伝心法要・宛陵録」入矢義高著 筑摩書房刊 を参考にさせて頂きます)

物語は、黄檗希運の弟子・裴休のプロローグから始まります。それでは、ある偉大な老人の教えを一緒に学んでいきましょう。

伝心の法則~ある偉大な老人の教え

ある偉大な禅の達人の話をしよう。そのお方の名前は、希運といった。高安県にある黄檗山の峰に住んでいた。

この禅師は、最上の教えを会得されていたが、それは言葉や文字を通しての教えではなかった。ただ、心の法側だけをこの世に伝え、それ以外の教えはそこには存在していなかった。

心というのは、本質は空(くう)であり、そのような心にとって、全ての現象は、空なるものでしかない。だからこの心は、あの虚空に輝く太陽の日輪のように、燦然と光り輝き、ひとかけらの塵さえない清らかなものである。

この心の法則を悟るのに、時間は関係なく、教えが浅いとか深いとか、そのような差も存在しない。
この法則を説く場合も、理論立てたり、分析することもなければ、宗教の教祖を崇めたり、新宗教を立ち上げることもない。

ずばり、そのものをつかむこと、ただそれだけなのだ。

ほんの少しでも別の思考が生じたら、すでに的外れなのである。この心の法則を悟って初めて、自分がそのまま仏であることに気付くのである。

このような教えなので、禅師の言葉はシンプルで、法則はダイレクトであり、生き方はストイックで、実践はオンリーワンである。だから、あらゆる地方から修行者が黄檗山を目指して集まってきた。そして、皆が禅師の姿を見て悟りを開いた。入門組の弟子は、いつも千人を越えていた。

私は、842年に、公務で禅師を黄檗山から首都へお迎えした。そして、龍興寺の住職になってもらい、朝でも夜でもその教えを聞かせていただいた。848年に別の都に公務で行った時も、開元寺に来てもらい、教えを学んだ。これらの教えを、私は家に帰ってから書き留めていたが、20%くらいは記録できていると思う。

この教えを、私は自分の心の指標として身につけ、今まで外に発表することは控えてきた。でも、天からの啓示といえるような精妙な禅師の教えの奥義が、後世に伝えられずに終わってはいけないと思った。そこでこの記録を、禅師のお弟子さんに渡し、黄檗山の広唐寺で保存してもらうことにした。

お寺の僧侶たちにもこの教えを読んでもらって、彼らが昔、禅師から親しく教わった内容と違いがあれば、また聞かせてもらいたいと思う。

<大中11年10月8日>